GAFAMが衰退しても、次のテック企業が支配するだけ
ネットワーク効果によるビッグテックの支配には、単なるコントロールとしての支配だけではなく、そこから逃れられないという「隷従」のニュアンスがある。ビッグテックのコントロールの言いなりにならざるを得ないのだ。単なる支配ではなく「支配と隷従」なのである。
とはいえ、このような「支配と隷従」は、決してアメリカのビッグテックに未来永劫に約束されているわけではない。現在のインターネットはグーグル、アマゾン、フェイスブック(メタ)、アップル、マイクロソフトなどGAFAMとも呼ばれているアメリカの企業群に独占されている。
しかし年月が経てばこうした企業も衰退していくかもしれないし、そのあとには躍進めざましい中国のテック企業が支配する時代も来るかもしれない。仮想世界のメタバースにインターネットの中心が移っていけば、そこではまた別の新たな企業が覇権をうちたてるかもしれない。
しかしどのような企業がやってきたとしても、AIを駆使したテクノロジーによる「支配と隷従」という構図はおそらくは変わらない。
そしてこの構図が続く限り、あらたな階層社会が誕生してくる。なぜならテクノロジーによる支配は、次の二者択一の選択をわたしたちに迫るからだ。
楽して支配されるか、苦労してでも自由に生きるか
第一の選択。無料や安価でさまざまなサービスを使って「安楽な暮らし」を楽しみ、そのかわりにビッグテックの支配を受け入れる。第二の選択。ビッグテックの「支配と隷従」からの自由を目指し、安楽な暮らしはあきらめる。
「支配と隷従から脱し、自由のために戦うエリート」と「安楽な暮らしに浸って、支配され隷属している人たち」という二分論は、けっこうリアルにテクノロジーの業界で目にする。
最近では、思想家の東浩紀さんが雑誌で落合陽一さんの「エリート主義」を批判して話題になった。
東さんは落合陽一さんの著書『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(PLANETS)を引いている。この本で落合さんは、AIによって低コストでパーソナライズされた最適化社会が実現すると書いている。そしてそのような未来では、人びとの生き方はベーシックインカム(BI)的とベンチャーキャピタル(VC)的に二分されていくという。
「AI+BI型の社会は、成功した社会主義に近くなる。社会の構成員に等しくタスクが振り分けられ、その対価も等しく与えられる。それに対して、AI+VC型の社会の中では、一部の人々は挑戦的なビジネスに取り組む。次々にプラットフォームに技術が飲み込まれる中で、その向こう側の領域をシリアルアントレプレナーとして生み出していく世界だ」