「確かに使用価値は、その商品を使えば実感できますが、交換価値は人間の五感では捉えることが出来ず、市場という場の交換を経て確認する“幻”のようなものですからね。そうした実感との乖離かいりも、ネット上に情報と数字が溢れ、交換価値ばかりが駆け巡っているかのように見える現代のデジタル資本主義だからこその現象と言えるでしょう。そこには、私たちは市場の交換によって、自らの使用価値についてもようやく知ることになる皮肉も潜んでいます。あなたが交換価値が倍になって、初めて自分の労働力の使用価値について考え始めたようにね」

アライさんは少し神妙な顔で答えた。

「それに、そもそも、自分はとても美味しい料理を作るシェフや美味しい野菜を作る農家さんよりも価値の高い仕事をしているようには思えないのですが……」

その言葉は、マルクス先生のスイッチを入れるに十分だった。

「その通り! 別にあなた個人を悪く言うつもりは無いけれど、あなたのような仕事にたくさんのお給料が支払われるような世の中の仕組み、すなわち現代の資本主義というものが歪んでいるのではないでしょうか? 資本主義は、ひとたびその運営の仕方を誤ったならば、人間も自然も破壊し尽くしてしまうのです!」

自分の仕事にどんな意味があるのか

「そ、そうですか、マルクス先生。でも一気に話が大きくなり過ぎてびっくりです」

気を取り直して、アライさんは続けた。

「一度、個人レベルの話に戻させてもらいますね。給料をもらえることはもちろんありがたいのですが、自分の仕事にどんな意味があるのか? なぜ、これだけ日々忙しく仕事しているのか、自分でもわからなくなる時があって……」
「なるほど。今度は、疎外の問題ですね?」
「そ、疎外?」

アライさんは、目をぱちくりさせた。

「あなたは、残念ながら、人間としての原点の喜びを忘れているのではないですか?」

マルクス先生は遠い眼をして続ける。

「自分自身の労働、働くという行為は当然、あなた自身のもののはずではないですか? そうした労働者に属していたはずの労働が、当の労働者自身にとって実感が得られないものとなってしまい、さらに、労働者を支配するような状況が生まれてしまっているとしたら、これは、大問題です」

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「疎外とは、本来自らに親しいはずのものが、意図せざることによって、よそよそしいものになってしまう状況のことを言うのです。そもそも、資本主義の社会では、大原則として、労働者は労働の生産物から疎外されてしまうのですね。労働の生産物は、労働者のモノではなく、資本家のモノになるばかりか、労働者が商品を多く作れば作るほど、その分だけ労働者自身の労働力も、安い商品となってしまうことも意味します。あなたが忙しく働いても働くだけ、その労働による富は資本家にわたると言うことですね」

悩みの原因は、疎外である

「残業代などで多少あなたに支払われる労働の対価は増えるのかもしれませんが、それでもより多くの富を得ているのはあなたを雇っている会社=資本家です。あなたが忙しくなればなるほどあなたを労働者たらしめている資本家がより多くの富を得ることになるのが、多くの場合でしょう」