「それだけではありません。労働者は労働そのものからも疎外されるのです。これはつまり、労働が労働者にとって疎遠なものとなっている、ということ……、労働というものがもはやあなたに属するものではなくなっているということです」

「現代のサービス業や、アイデアを生産物とするクリエイティブワーカーなどと言われるあなたのような仕事の場合特に労働の手ごたえを実感として感じにくく、どうやら常に追い立てられているような感覚を持つ人が多いのでしょうね」

マルクス先生は、疎外の問題点を説明し始めた。

「労働者にとって労働が自分に属さない外的なものになり、これによって労働は自発的なものではなくて強制的なもの、また生活の為の手段に成り下がるのです。疎外された労働は生きがいや働きがいを与える物ではなく、むしろ生きがいを奪うものになります。労働は、本来人生を豊かにするもので、喜びをもたらすはずであるにも関わらず、むしろ自分を苦しめることになるなんて、なんということでしょう」

階段に座ってうなだれる男性
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疎外が労働を苦しみに変える

「疎外された人には、哀しいかな、喜びだった労働が、苦痛としか感じられないのです。最終的には、労働者は、類的な存在からも、人間であることからも疎外されるということにもなります。本来、人間とは自由な意志を持った存在であり、自然に働きかけて自らが生きる上で必要なものを生み出していく、そのこと自体に喜びを感じる存在ですし、これが本来の豊かな労働のはずです」

「しかし恐ろしいことに、自分自身の労働によって生み出された生産物に生きる甲斐を見出していたはずの人々が、労働の生産物や労働自体から疎外された結果、人間としての自分自身とも対立することになるという、なんとも皮肉な事態も生んでしまうのです」

「それだけではありません。他人とも対立することにもなる。というのも、人間は本来、他人や社会との繋がりの中で生きていく存在ですが、労働者は人間として生きることが叶わない為に他人と満足に共同することもできず、孤立し、対立することになります。もはや、労働者は人間であることから疎外されてしまう、つまり、働くことで喜びを得るはずが哀しみしか得られず、人間の本質的なものを失っていくのです。実に皮肉です!」

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マルクス先生は、一気にとうとうと語る。アライさんが口を開いた。

「言われて見れば確かに。特に労働そのものから疎外されて、労働が自分に属さない外的なものになっている現状は、現代ではたくさんの人に当てはまるかもしれません。やりがいを十分に感じることができずに、我慢して仕事をして休日にようやくそれらから解放されるという人はたくさんいるような気がします。やっぱり会社で働くとなると、自分の意志よりも会社やお客さんの都合で色々進んでいってしまって、結局自分を押し殺して働くみたいな……。確かにこれは労働が僕らのものではなくて資本家のもので、僕らが労働から疎外されているからなのかもしれませんね」