既定路線を進まず、組織の看板を背負うこともなく、個人として他流試合を続けていた私の履歴は、日本の保守本流から外れているものだったのかもしれません。当時、東京大学の医局でのキャリアを捨てて、その経歴がまったく通用しない海外に出ていく選択をした人は極めて少数だったはずです。
実際、帰国してから日本の大学人にはよく「東京大学的ではない」と言われました。東京大学関係者からも「ズレている」と言われたこともあり、「なぜそんなことを言うのだろうか」と不思議に思うこともありました。
世界の一流大学は「個人」をフェアに評価する
アメリカの大学では、個人のプロフェッショナル意識が強く、競争はとても激しく、息つく暇もありません。トップアスリートの間で世界ナンバーワンの座がめまぐるしく入れ替わるのと同じように、努力を続けて自分の価値をさらに高めていかなければ、より優れた人材にすぐにポジションを奪われ、他大学に移るか開業するかなどの選択を迫られます。
ポストを得たからといって、日本の大学のようにその後の人生は安泰とはなりません。それは単なるアカデミックなランクであり、それだけで大学がお金をくれるわけではありません。私が内科教授になったときも、内科のチェアマンに呼ばれて、「教授就任おめでとう。ところで、あなたはどうやって稼ぐの?」と言われたものです。
ですから、アメリカの大学の教員はそれぞれが自分の収入と研究費を維持するために、猛烈なプレッシャーの中で日々の努力を続けています。そして、そんなハードな他流試合の中でよい仕事をしていれば、経歴や国籍、所属組織に関係なく、評価されるのもアメリカの社会です。ですから、アメリカの大学には、能力を純粋に評価された30代や40代の若い教授が大勢いるのです。
私の最初の留学先のボスであるハワード・ラスムッセン博士も、医師であり、43歳という若さでペンシルベニア大学の生化学のチェアマンになった方でした。ちなみにこの博士も、他の大学に3回ほど移っています。
研究室に所属したらボスの手足となって滅私奉公し、気に入られたらやがて空いたポジションをもらえる――そんな日本のアカデミアと比べ、なんとフェアなことでしょうか。
母校・東大医学部の助教授になる
アメリカで他流試合を続ける中で、私の価値観は大きく広がりました。そして、特に意識したわけでもないのですが、日本の大学の保守的な価値観に、いつしか疑問を覚えるようになりました。
アメリカの大学でどれだけキャリアを積もうとも、日本の大学は評価しません。むしろ、既定路線を外れて大学を飛び出すようなことがあれば「裏切り者」のように扱われかねない時代でした。