一方、日本の大学では多くの学生が同じ大学の学部、大学院で勉強をします。学位をとった後も、同じ研究室に5年、10年といることはめずらしくありません。ほかの大学の学生や人材と混ざり合うことはかなり少ないでしょう。逆に、混ざり合わない方がいいとする風潮すらあります。

他流試合に対して、「格差が広がるのではないか」という否定的な見方をする人もいます。「厳しい競争においては、個々の能力の差がより明確になり、それが結果として貧富の差を生むことになる」と考えるようです。

実際、すでにアメリカでは、個人の能力の差、貧富の差は拡大し、社会は二極化しています。そして、それらの格差は、次世代に再生産もされています。現実として、知能は親から子へとある程度遺伝し、その発達の過程においては環境に大きな影響を受けます。知的能力が高く、社会的地位があり、経済力のある親のもとで育つ子どもは、より豊かな学びの環境が与えられ、それが遺伝的な能力の高さを押し上げるのです。

日本には「個人の才能」を伸ばす教育が必要だ

アメリカは、人種も価値観も宗教も違う多彩な移民たちが集まった国だからこそ、格差も容認できるのかもしれません。反対に、コミュニティーの均一性の高さを尊んできた日本の社会からすれば、このような格差が生じる仕組みは心情的に受け入れがたいのかもしれません。

しかし、老人たちが好む「古きよき日本」にしても、決して格差がなかったわけではありません。江戸時代には強く固定された身分制度があり、明治以降にしても、大学に入学した時点で、その後の社会的地位が決まり、それが所得格差につながっていたはずで、「一億総中流」の意識が国民に根づいたのは、高度経済成長で国民の生活レベルがある程度均質に向上した近年のことです。

ここ数十年に起きた世界のグローバル化によって、日本がつらい時代を迎えているのはたしかです。しかし、世界の多様さに気がつかないふりをし、他流試合を封じ、鎖国したような状態の国の中で極端な「弱者救済システム」にこだわり続けている点は改めるべきでしょう。

黒川清『考えよ、問いかけよ 「出る杭人材」が日本を変える』(毎日新聞出版)
黒川清『考えよ、問いかけよ 「出る杭人材」が日本を変える』(毎日新聞出版)

実力主義にもとづく激しい競争社会が、必ずしもベストというわけではありません。しかし、世界のグローバル化が止まらない以上、日本もその変化に対応していかなければ国際社会の中で生き残ることはできません。

貧富の差がよくないのはたしかですが、能力の差までを否定し、個人の能力を伸ばす教育を行わない、高等教育機関である大学がそのための環境を十分に整えないというのは間違いです。

人はそれぞれ違う適性や能力を持っています。それぞれが己のキャリアを自分で選択し、持っている能力を最大に活かせるような社会であるべきです。そのような社会を実現する日本独自の新しい教育システムを創り出すことこそ、日本の真のエリートに求められる役割でしょう。

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