日本のエリートにはなにが足りないのか。東京大学名誉教授の黒川清さんは「大学入試に合格するための勉強しかしておらず、自分の頭で考えることが少ない。それが知的なもろさにつながっている」という。黒川さんの著書『考えよ、問いかけよ 「出る杭人材」が日本を変える』(毎日新聞出版)からお届けする――。
聴診器をかけた白衣の人
写真=iStock.com/Nature
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アメリカで痛感した日本の大学との決定的な差

1973年にUCLAの医学部内科助教(Assistant Professor of Medicine)に、1974年にはUSC(南カリフォルニア大学:University of Southern California)医学部内科准教授(Associate Professor of Medicine)になりました。

教員になると講義を受け持つことになります。私も150人近い医学生を相手に講義を行うようになりました。日本の教員の中には「学生による授業評価」に批判的な人も多いのですが、アメリカの教員は学生に評価され、その評価が自分と内科のチェアマン(主任教授)に届けられ、定期的に査定が下されることが当たり前です。

私自身は英語で話しているつもりなのに、何人かの学生からは「Dr.クロカワは日本語でしゃべっているので、講義の内容が全然わからない」と酷評されたことがありますし、一方で、授業の内容について「工夫がされていて非常にわかりやすかった」と評価する学生に励まされることもありました。

授業がつまらないと、学生はどんどん教室から出て行ってしまいます。学生の評価が低ければ、それがどんな地位の人間であろうと大学からは切られてしまいます。ですから、教員は「どのような講義をすればよいか」を必死で考えて、ときにはほかの教員の授業にも出て参考にします。

それが自身の価値を高めることにつながります。日本の大学では軽視されがちな「教育に対する評価」ですが、このような直接的なフィードバックは教員にとっては非常に大切なことだと強く感じました。

違和感を覚えた「東京大学的ではない」という言葉

1978年には私はアメリカの内科専門医と腎臓内科専門医の資格を持っていましたから、研修医を複数入れたチームを率いて、毎日、患者の回診も行っていました。この研修医たちの評価も、すぐに査定に影響します。

研修医も2年目、3年目となると勉強を重ね、知識も豊富ですので、私も彼らに負けないように、『NEJM(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン:The New England Journal of Medicine)』や『Lancet(ランセット)』といった主要な医学雑誌には毎週すべて目を通し、知識をアップデートし続けました。

このように、私は日本の組織から独立した個人として、アメリカの大学で医師として研究、臨床、教育に従事し、キャリアを積み上げ、1977年にはUCLAからオファーがあり医学部内科准教授に、1979年には同内科教授(Professor of Medicine)になりました。