「やってる感」ばかりの政治家はいらない
野田氏の言うように、安倍氏が放った「強烈な光も、その先に伸びた影も」今後永遠に検証が続けられるべきだ。安倍氏を弔う言葉でその政治のすべてを美化し、忘れ去ることは許されない。
しかし、この10年間に極限まで進んだ、すさんだ政治の言葉のありようは、あの追悼演説をもって清算し、終わりにしたい。あるべき政治の言葉を取り戻したい。
さて、野田氏は現在、菅直人氏と並んで立憲民主党の最高顧問である。
毀誉褒貶があるとはいえ、東京電力福島第1原発事故の対応への再評価の声もあるなど一定の存在感を示す菅氏に対し、野田氏は国民から見れば、首相退任後は陰が薄かった印象は否めない。「消費増税に手をつけた」「衆院解散時期を誤り自民党に政権を明け渡した」など、マイナスの評価も少なくなかった。
だが、派手な立ち回りで「やってる感」ばかり演出する政治家が跋扈するなか、野田氏のような政治家の存在価値は、もう少し認められてもいいはずだ。
立憲は「老・壮・青」の三拍子で政権奪取を
野田氏は現在65歳。亡くなった安倍氏とは1993年初当選組の同期だ。「上がりポスト」に収まるには早すぎる。立憲民主党にはぜひ、野田氏らベテランの力も存分に活用し、「老・壮・青」が一体となって、結束して政権奪取に向かうことを求めたい。
政権を争う野党第1党に求められるのは、しっかりした理念や政策の軸と同時に、一体感や安定感があることだ。「ベテランを切り捨てて世代交代をうたい、清新さばかりをアピールする」という平成の野党のあり方も、もう終わらせていいのではないか。