個人的な問題を国家レベルの政治問題に転化した

ただ、一方で、そうした暗殺犯や暗殺未遂犯と山上容疑者を比べると、違和感を覚える点が1つあります。山上容疑者の「年齢」です。事件当時、彼は41歳だったそうですが、例えば、チョルゴッシュは28歳、オズワルドは24歳など、暗殺犯は20~30歳代の若者が多いのです。

そうした特徴から推察するに、山上容疑者は旧統一教会に対する積年の恨みを心に募らせてきたものと思われます。母親が旧統一教会に多額の献金を行い、一家が破産したことで、同教団を恨み、その問題を、旧統一教会と関わりがあったと彼が考えた安倍元首相に向けたのでしょう。

つまり、「個人的な問題」を「国家レベルの政治問題」へと転化させたのです。マッキンリー大統領を銃で撃ったチョルゴッシュをはじめ、多くの暗殺犯や暗殺未遂犯にも、ある意味で、そうした傾向が見られます。

個人的な恨みを心に秘め、その問題や問題の解消法について単一の考え方にとらわれるという傾向は、一般的な暗殺犯のプロファイルに合致するように見えます。社会からの疎外感や孤立感、怒り、そして、恨みの感情といったものも、彼らに共通する点です。

そうした特徴は、20世紀初頭のヨーロッパで起こった暗殺事件にまでさかのぼります。彼らの動機には、ある意味で政治的な側面も含まれることがありますが、それよりも、非常に精神的・心理的なものです。

心に深く根差した恨みや重荷を抱え、その責任を負うべき対象だと彼らがみなす人間をあやめることで、その重荷を解き放てると考えるのです。それが、暗殺事件の最も悲しく、最もせつない側面だと思います。

ケネディ大統領の暗殺でアメリカ国民は団結した

――1963年のケネディ大統領暗殺がアメリカ社会を震撼しんかんさせたように、安倍元首相の銃撃事件も、日本社会に衝撃を与えました。ケネディ大統領の暗殺はアメリカをどのように変えましたか。

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計り知れないほど大きな影響を全米に及ぼしました。国民の「団結」です。アメリカ社会が一変したのです。「1960年代は、ケネディ大統領の暗殺で始まった」と言われたほどです。46歳という若さで暗殺されたわけですから。

国民は、「一匹狼の狙撃犯が米大統領の命を奪い、若い大統領の下でエキサイティングなことが起こるだろうと考える国民の期待を、一瞬にしてかき消してしまうとは」という感覚に打ちのめされたのです。

1995年に起こったイスラエルのイツハク・ラビン首相の暗殺も同様です。国民は、「純真さの喪失」とでも言うべき感覚に襲われました。彼は中東和平交渉を推し進めた立役者だったからです。

注:ラビン首相は1993年、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長との間で、パレスチナ自治政府を公認するオスロ合意を締結。翌年、ノーベル平和賞を受賞したが、1995年11月、中東和平を快く思わないユダヤ教徒の青年に銃撃された。

国民はラビン首相を強く支持していたため、その指導者の命が奪われたことで、自分たちを守ってくれる盾を失ったように感じたのです。