指導者の暗殺で民主主義社会が不安定化することはない
――独裁政権では、指導者が暗殺されると社会が不安定化する一方、民主主義国家ではそうならないという専門家の指摘があります。
そうだと思います。マッキンリー大統領の暗殺が好例です。暗殺犯のチョルゴッシュはアメリカ社会の不安定化を狙っていましたが、そうなりませんでした。副大統領もいますし、州政府や最高裁など、しっかりした統治機構があるからです。
民主主義国家では、仮に国王が暗殺されたとしても、政府が機能不全にはなりません。チョルゴッシュのように、暗殺によって国民を決起させようとしても、誰も立ち上がりません。革命など起こらないのです。もちろん、山上容疑者は革命などを望んでいなかったと思いますが。
たとえ、国家指導者の暗殺が国民を団結させるとまではいかなくても、国家を分断させることはほぼないと言えます。
――安倍元首相は支持者からの賛辞を謳歌した半面、世論を二分する主張を打ち出すなど、反対派も少なくありませんでした。そうした日本を代表する政治家の暗殺は今後、日本社会に「団結」と「分断」のどちらをもたらすと思いますか。現政権が安倍元首相の死を「国民の団結」というプラスの結果につなげるには、どうすべきでしょうか。
安倍元首相の暗殺が日本社会にどのような影響を及ぼすか、私にはわかりません。ただ、政治家に何らかの心理的影響が及んでいるのは確かでしょう。例えば、有権者との握手に二の足を踏むなど、ある種の危機感が生まれたのではないでしょうか。
世界を見渡せば、21世紀は、ある意味で「暴力の世紀」とも言えます。アメリカよりはるかに平和的な日本社会も、そうした世紀に突入しつつあるのかもしれません。私としては、そうなってほしくありませんが。
日本の政治は私の専門外のため、日本が今後どうなるかはわかりません。
指導者の死から故意に何かを得ようとしてはいけない
しかし、例えば、ケネディ大統領の暗殺後、政権を引き継いだリンドン・ジョンソン第36代大統領(民主党)は1964年、公民権法という、議会の意見が大きく分かれる法律の成立にこぎ着けました。同政策を推進していたケネディ大統領の暗殺が法案への支持を押し上げ、議会通過を後押ししたのです。暗殺がなかったら、成立は無理だったでしょう。
とはいえ、暗殺と政治的な勢いの高まりを同一視すべきではありません。要は、指導者の暗殺が政権に対する国民の見方を変えるということなのです。ケネディ大統領の場合は若く人気があったため、暗殺が(民主党への共感を呼び)ジョンソン政権に「ハロー(後光)効果」を与えるという結果をもたらしたのです。
ロナルド・レーガン第40代大統領(共和党)も暗殺未遂事件から見事に生還したことで支持率を伸ばし、結果的に、減税など、大きな成功を収めました。
日本がどうなるかは見当もつきませんが、指導者の死から故意に何かを得ようとしてはいけません。なぜなら、それは「政治的」な意図を意味し、国民を「団結」させることにはならないからです。仮にそうした動きがあるとすれば、警戒が必要です。
ケーリー・フェダーマン(Cary Federman)
米モンクレア州立大学准教授
政治学者。バージニア大学で修士号(政治学)を取得後、同大やミシガン州立大で教える。主な研究分野は憲法学や法学、民主主義理論、現代政治哲学など。著書に『Democracy and Deliberation: The Law and Politics of Sex Offender Legislation』『The Assassination of William McKinley: Anarchism, Insanity, and the Birth of the Social Sciences』などがある。