「自分は防大で最底辺だ」は勘違いだった
翌日からは「もう辞めるぞ」と決意し、冷めた態度で学生生活を送ることにしました。今までは気持ちを全開にやっていましたが、50%ぐらいにし、怒られないギリギリのラインでやることにしたのです。最後ぐらい学生生活をドライに見るかな……と思ったら、あることに気がつきました。
まず、冷静に同期を見ると「寮生活・運動・勉強」を人並み以上にできているのは10人に1人でした。空手部の同期は、運動はできても勉強に苦労し、勉強ができる同期は寮生活で苦労をしていました。彼と私は「人よりもちょっとでも優れた点があるから、なんとか頑張っている」くらいの差でしかなかったのです。
また、退校予備軍もかなり多かった印象です。同期の3分の1ぐらいは退校予備軍で、ギリギリで頑張っている状況でした。つまり「自分は防大で最底辺だ」と思っていましたが、上級生から見れば「その他大勢の新入生」に過ぎなかったのです。
「みんな苦しいのだな……」と思った時に私の心は少し気がラクになりました。
自分の期待値があまりにも高かっただけということに気がついたからです。
優秀な同期ではなく、「昨日の自分」と比較する
ただ、それがわかったからといって不器用、勉強ができない、運動ができない、怒られてばっかりの三流高校出身の自分が卒業できるわけがない。そう思った時に一つの考えが浮かびました。
「こんなダメな自分が1年乗り切ったら面白いな」と。
勉強と運動ができ、要領がよい学生であれば、自分への期待値を高く設定できるので、「首席で卒業できたら面白い」と考えるでしょうが、私は落ちこぼれだったので「防大を卒業できたら面白い」と一気に目標を下げることにしました。
そして私は「こんな刑務所みたいな学校に、残っているだけですごい」という思考に変えました。むしろ、「できる同期はまともじゃない」と思うことにしたのです。
自分に対する期待値を大きく変え、「自分はできない人」という基準で物事を考えました。
比べる基準も「昨日の自分との戦い」にしました。周りの同期には勝てなくても、昨日の自分との戦いであれば勝てるはずです。結局、Kさんの言葉は正しかったのでした。
こう考えれば、他の同期がどんなに良い成績を取ろうが、賞賛されようが、私には関係のないことです。私はトップを目指しているわけではなく、1年間乗り切れば面白いと思っているので、乗り切ればいいだけです。