東大生が実際にエベレスト登頂成功時に使った作戦とは

5 目標設定と照らし合わせながら絞って、さらに深掘りする

つまり何を申し上げているかというと、ズームアウトしていくと、けっこういろいろな打ち手が出てきます。

で、ほんとうに何度も繰り返しになりますが、ここで、この人がいつ、なぜ、何のためにエベレストに登りたいかによって、打ち手は変わります。

実は、これ実在の人物の話を聞いてつくった演習なんです。山田淳くん。彼は、スポンサーの線を深掘りしていきました。注目度の高さが必要ですよね。どうするか? 彼は、ギネス記録をつくりました。七大陸最高峰最年少登頂記録(※)(当時)です。ギネスに載ると価値がすごい上がるので、スポンサーがつくんですね。

スポンサーをつけるためにギネス記録をつくる。ギネス記録をつくるためには、2年半以内に登らなきゃいけない。じゃあ2年半で登るためにどうしたらいいかっていうロジックで問題解決をしていくタイプの人でした。

2年半で登ろうと思うと、当時エベレスト登山に必要と言われていた、「低酸素での登山に慣れるための体づくり=豊富な高所登山経験」というのを普通に積んでいるのでは間に合わないわけです。もっと早く体をつくらなければならない。

彼は「山に登らずに低酸素トレーニングをする場所はないか」と徹底的に探し、当時できたばかりで、まだ誰にも使われていなかったオリンピック強化選手用の低酸素トレーニング室の利用を自らかけ合いました。

「安全確認のための実験台としてすべてデータ提供するので、タダで使わせてほしい」と交渉したのだそうです。

※七大陸最高峰最年少登頂記録:2002年5月17日、東京大学在学中に国際公募隊の隊員として、北東稜からエベレストに登頂。大陸の最高峰を2年半で踏破し、当時の七大陸最高峰登頂の最年少記録を更新(23歳9日)。七大陸最高峰制覇は、日本人としては6人目。大学卒業後はマッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務し、2010年にアウトドアベンチャー企業を設立。