日本では1980年代後半から航空規制が緩和される。70年(昭和45年)の運輸審議会で閣議決定し、72年(昭和47年)で運輸大臣通達のあった「45・47体制」により日航=国際線・国内幹線、全日空=国内幹線・ローカル線、というような事業分野の調整政策があった。その後、1985年に撤廃されると競争政策へと変わる。97年には国内幹線への新規参入も可能になった。

その流れを受けて誕生したのが、現在「MCC」(Middle Cost Career)と呼ばれる4つの航空会社である。筆頭はスカイマーク(1998年)。その後、エアドゥ(1998年)、ソラシドエア(2002年)、スターフライヤー(2006年)は定期運航を開始した。

スカイマークが「空をもっとカジュアルに。」とうたったように、4社は「空の価格破壊」を目指して大手ANA、JALに比べて安い運賃で競争を仕掛けた。例えばスカイマークが初就航した羽田―福岡線は、片道運賃1万3700円。大手の2万7000円に対し半額程度だった。この動きはまさに第一次LCCの誕生と言えるものだ。

筆者撮影
那覇空港で出発準備を行うピーチ機

当初は利用者に受け入れられたMCCだが、挫折に直面する。それはANA・JALの巻き返しである。大手は特定便割引運賃を導入しスカイマークの行く手を阻み、搭乗率を急落させた。いわゆる「新規たたき」と呼ばれる事象が起こったのだ。

独立系MCCとLCCの決定的な違い

結果的にスターフライヤーは業績不振に悩み、2020年にはアドバンテッジアドバイザーズによる業務提携を受け入れることとなった。同社以外の3社は経営破綻を経験した。今では4社すべてにANAの資本が入り、役員も派遣されている。スカイマーク以外の3社はANAとコードシェアを実施しており、航空券販売を頼っている状況だ。

4社はANA・JALの航空運賃に風穴を開けた功績はある。しかし、価格面で挑戦していった競争相手に4社はのみ込まれてしまったことになる。「空の価格破壊」は極めて不安定なものだった。

「空の価格破壊」を目指したMCCは日本の航空業界では育ちにくい環境であった。MCCがANA・JALに属さない独立系の出自だったことが要因だと言えるだろう。自由化以前から圧倒的な優位に立つ大手に、新規航空会社が太刀打ちできるはずもない。

LCCはMCCを反面教師として誕生したと言ってもいい。LCCは大手のグループの一員として発足しており、MCCが発足当初に直面した課題は“免除”された。

筆者撮影
ジェットスターの新型機・エアバスA321LR