LCCが打ち破った「羽田神話」

日本の航空業界には「羽田神話」とも呼べるものがある。日本のLCCはこの常識を打ち破ったことが急成長の実現を可能にしたと言える。

羽田空港は世界でも屈指の旅客数の多い空港だ(2020年=世界第8位)。ここに乗り入れさえすれば、結んだ路線は黒字化するとみなされてきた。エアラインの事業の成否のカギは、羽田発着枠を獲得することと同義と考えられていたのだ。

MCCは設立当初から規制緩和の名の下に、国から発着枠の配分を受け、羽田を拠点に定期路線を拡大していった。MCCは、4社ともに初就航路線は羽田空港を結ぶ路線を開設した。羽田の枠を得たが、これがMCCの弱点になった。さらにその後の路線拡大のスピードは速いとは言えないものだった。

それは路線開設数に現れている。スカイマークは現状で羽田発は6路線であり、後発のピーチは成田空港で11路線、ジェットスターは13路線と格差がある。

成田空港から離陸するピーチのA320
筆者撮影
成田空港から離陸するピーチのA320

路線開設時期は、2006年に羽田・神戸線と羽田・那覇線を開設以来長らく空白があり、2020年に政府政策枠で羽田・みやこ下地島路線を開設するまでに14年も間隔が開く。これだけの時間はLCCの創業期間よりも長いことになる。

国際線に至っては、2010年に国際線専用ターミナルビルが完成するまでは暫定ターミナルビルでの近距離国際チャーター便だけの運航だった。羽田空港からは大手さえ就航していない国際定期便に参入できるはずもない。

羽田空港ではなく、本社のある拠点空港から国際線を運航すればよかったものの、経営の安定が先で、とても手が回らなかったのが正直なところだろう。

「成田は不利だ」と言われていたが…

MCCを牽引するスカイマークであっても国際線開設の時期は最近になってからだ。経営破綻を経験した2015年以降2019年になって満を持して成田・サイパン線を開設したがコロナ禍で運休を余儀なくされており、再開のめどは立っていない。

一方のピーチは、深夜早朝枠で2015年に台北、2016年にソウルと上海を開設したのみでジェットスターも含め当初より昼間時間帯に羽田空港に乗り入れることはできていない。首都圏では成田空港であり、関西圏では伊丹空港ではなく関西空港を拠点にしている。都心からのアクセスが劣後することから大手やMCCと比べて相当不利であると言われた。

しかし運賃を安くすれば、空港が遠隔地でも集客のできることがわかった。空港までの交通費を加算してもLCCの運賃は魅力的だった。

羽田空港は、各社の国内線と大手にとっての国際線は航空会社に利益をもたらしたが、日本一の混雑空港により自由な路線拡大ができない空港となっていた。

国の政策により、そこそこの儲けが継続こそすれ成長軌道に乗せることは難しかったのである。結局国際化を推進するには国際線と国内線の乗り継ぎが容易な成田空港や関西空港がうってつけだった。この国際化が次に述べるLCC躍進の理由だ。