介護認定は受けず、自分で面倒を見る
08年のインタビューで数年ぶりに対面で話した当時37歳の野沢さんは、かつて悠々自適の独身生活を送っていた男性と同一人物とは思えないほど、覇気がなく、戸惑いが表情にも現れていた。以前は母親が毎日、アイロンがけしてくれていると言っていた白ワイシャツはいつもまっさらの状態のようだったが、今では所々にシワや黄ばみが目立つ。自分で手入れをするのは不慣れだが、かといってクリーニング店に立ち寄る余裕もないようだった。
外出はままならず、家事や立ち上がるといった動作も手助けなしではうまくできないという母親の状態は、軽く見積もっても要支援1には該当するとみられた。これは適切な支援を受ければ、要介護状態になるのを防ぐことが可能な状態だ。しかし、介護保険法の要支援・要介護認定を受けず、自分で母親の面倒を見ているという。
しばしの沈黙の後、思いの丈をこう吐き出した。
「はぁー、うーん……本当は……不便、なんです。前は母親が炊事、洗濯、掃除など家のことすべてを行ってくれていて、それが当たり前で、特に意識もしていませんでしたから……。家事ぐらい、やる気になったら自分でできると思っていたんですが……。仕事で疲れて帰ってきて、何もする気が起こらないんです……もう、ホント、途方に暮れているというのが本音なんです……あっ、はは」
そう途切れ途切れに話し、短い苦笑で終えた。
自虐っぽく語った「不便」は全くの嘘ではないだろうが、表情や態度からは、後悔の念を隠すためのポーズであったようにも思えた。
なぜ介護認定を受けないのか
そうして12年に、心臓病は比較的良好な予後を維持しながらも、身体能力のほうが急速に悪化した母親が要介護状態に陥る。正確には認定を受けた、ということで、実際にはそれ以前から介護が必要な状態であったと推察される。野沢さんが41歳の時だった。
要介護認定を受けるまでの間、母親の状態を近隣居住者から聞きつけた地域包括支援センター職員や民生委員らが認定を申請するよう複数回にわたって勧めたが、拒み続け、ようやく受けた初回の認定が要介護2だった。食事や入浴などでも介助が必要で、理解力や思考力の低下もみられる状態を指す。
野沢さんのように同居する唯一の家族介護者がフルタイムで働いている場合、在宅介護の難しさから、介護付き有料老人ホームなど施設介護サービスを選択するケースは少なくない。介護老人保健施設に3〜6カ月入所してリハビリや介護ケアなどを受け、自宅復帰を目指す方法もある。
なぜ、要介護認定を受けるまでにこれほどの時間がかかってしまったのか、そして、介護施設への入所は考えていないのか、要介護認定から1年ほど経過した13年のインタビューで、率直に尋ねてみた。