祖父母の死
祖父母は、兄も黒島さんも可愛がってくれたが、祖父は特に兄のほうを可愛がっていた。
しかし祖父は88歳、黒島さんが26歳の頃、要介護状態になり、祖母はそれから遅れること3年、87歳で要介護状態になると、2人はやっと“目が覚めた”ようだった。
兄は、たびたび入院する祖父母に金をせびりにきては、断られると話もせずさっさと帰ってしまうのだ。一方黒島さんは、祖父母から小遣いを渡されても断っていた。
そのため祖父母は亡くなる前、「あの子(兄)は金をあげないと顔を見せにもこない」と悲しそうな顔をしていた。黒島さんは、祖父母にそんな顔をさせる兄が許せなかったが、これ以上祖父母を悲しませたくないとの思いから、「お兄ちゃん、仕事が忙しくて会いに来れないんだって。電話したら2人のことを気にかけていたよ」と嘘をつき続けた。面会を促すため兄に電話をすると、「行ったよ。けど、寝てたから帰った」とバレバレの嘘をつかれた。
一方母親は、祖父母の介護をかいがいしく続けた。
祖父のときは母親がキーパーソンとなり、1年間在宅介護を行った。黒島さんは毎日実家に寄り、栄養や体調管理、入浴のサポートをした。祖母のときはデイサービスを利用しつつ、在宅介護を2年ほど行い、黒島さんはトイレの補助などをサポート。最後の1年は施設に入所した。母親は、祖父の入院中も祖母の入所後も、2人の顔を見るために毎日通った。
「ここまで母が介護を頑張るのは意外でした。“頑張ってますアピール”に飽きたら、すぐにギブアップすると思っていました」
特定の人と過剰に仲良くなっては揉めるという悪い癖がある母親は、人間関係が原因で約10年ごとに仕事を変えていた。73歳になる現在は、印刷会社でパートをしているが、祖父母に介護が必要になった約3年前も、勤めながら介護していた。
祖父は2013年、黒島さんが27歳のときに89歳で肺炎で、その5年後、祖母は黒島さんが32歳のときに90歳で老衰で亡くなった。