「財政が苦しい=社会保障費削減」はおかしい
しかし、そもそも、社会保障は、国民生活に必要な制度であり、国や自治体の予算が優先的に配分されるべき性格のものである。
財政規模や費用が増大し続けていても、国民生活に必要な予算である以上、多くの予算が社会保障に充てられることは、異常でも偏重でもなく、きわめて正常な財政の姿といえる。それゆえ、国の財政が苦しいから、社会保障の費用を削減しなければならないとは当然にはならない。
もちろん、青天井に社会保障費が膨張していっていいというわけではない。社会保障の費用の中にも、たとえば、年間600億円にのぼる介護保険の要介護認定の費用のように、要介護認定を廃止すれば削減できるものもある。
しかし、国民の生活保障に必要な給付については、借金してでも確保すべきということになる。
「消費税以外に財源はない」わけがない
とくに、憲法25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活」水準を具体化した生活保護基準については、国の財政事情が苦しいからといって無制約の引き下げが許容されるものではない。
朝日訴訟第一審判決(東京地裁1960年10月19日判決)のいうように、「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきもの」だからである。
だとすると、問題となるのは、安倍政権のもと、国の財政赤字や歳入不足を理由に、社会保障が削減されている現状であろう。
社会保障に必要な予算が確保されず、社会保障費の自然増部分も含めて必要な予算まで削減されていることが問題なのである。つまり、社会保障の財源問題とは、国民生活に必要な社会保障の財源が本当に確保できないのか、消費税以外に財源はないのかという問題設定に置き換えることができる。