積年のストレス

2019年1月。40代前半となった増井さんは、救急車で運ばれた。

突然激しい頭と首の痛みに襲われ、嘔吐を繰り返し、全く動けなくなったため、74歳の母親が救急車を呼んだのだ。

診断は、筋緊張性頭痛。首・肩・背中の筋肉が硬直してしまったことで、頭痛や首の痛みが引き起こされるというものだ。増井さんの場合は、顔面の筋肉も硬直し、まぶたや目の周り、頬骨の下などもズキズキと痛み、しばらく上体が起こせないにもかかわらず、有効的な手術の方法がなかったことから、入院はしなかった。

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結局、数週間もの間、在宅でほぼ寝たきり状態となり、食事も歯磨きも母親に介助してもらいながら寝たままおこない、唯一トイレだけは自力で行った。

「過去の卵巣腫瘍や心臓(不整脈)のときよりも、症状が一番重くつらく感じました。治療は、硬直してしまった筋肉を解くための筋弛緩剤と、対処療法としての痛み止めの服用のみで、回復は遅く、仕事復帰まで1カ月半もかかりました」

この時はすでに父親が紹介された隣県の老人ホームに入居していたため、母親は増井さんの介助に専念。だが、母親も増井さん自身も、いつ治るのか先が見えず、とても不安な日々を過ごした。

父親の危篤

父親は老人ホーム入居後、まもなくインフルエンザで高熱を出したのをきっかけに、急速に衰えて、要介護4になった。

2021年5月。80歳になった父親は老人ホームで突然容体が悪化し、大量下血。救急車で病院に運ばれ、そのまま入院に。入院先の病院は、コロナ禍で面会は一切禁止。何かあったら病院から連絡が入ることになっていた。

6月下旬に病院から電話があり、「主治医から電話で病状の説明をするので、その予約を取ってください」と言われ、増井さんは7月初旬に予約。その予約日の前日。就寝中の増井さんは、午前4時頃に鳴った自宅の電話で起こされた。別室にいた76歳の母親も、電話に出ようとリビングに来たところで、2人は鉢合わせる。

増井さんが受話器を取ると、「お父さんが現在、呼吸も脈もとても弱い状態です。急いで病院に来てください。もしかしたら、間に合わないかも……」と、看護師が言った。増井さんのスマホには、病院からの着信履歴が複数残っていた。

増井さんは、「これからすぐに向かいますが、自宅から病院まで電車で2時間かかります……」と伝え、母親と身支度をして家を出る。

電車の中で母親は緊張した面持ちで言った。「今日で決着がつくのかな?」

慎重派の増井さんは首を縦には振らなかった。「危篤になりつつもまた持ち直して、これから何度も病院に呼び出される日が続くかもしれないよ」

この時の心境を増井さんは振り返った。

「それまで、父が弱ってきたという連絡は一度も無く、むしろ病状は安定していました。私が、積極的治療の拒否や看取りなどの説明を希望しても、主治医からは、『まだそういう段階ではない』と否定されていたので、突然の危篤の知らせに驚きました」

梅雨明け前のじめじめした天候の中、病院に着いたのは午前8時少し前。病室へ向かうと、父親は酸素マスクなど何も着けない状態で横たわっていた。看護師から見せられたモニタの波形は、横一直線。

瞬間、増井さんは、「あ、終わったんだ」と思い、母親と顔を見合わせると、小さくうなずき合った。増井さんが電話を受けた、約10分後に息を引きとったのだと言う。

「正直、悲しいとかそういう感情は一切ありませんでした。とはいえ、父の臨終はずっと望んでいたことですが、うれしいという気持ちもなかったです。ただただ、『これで終わった』という、白黒ついてホっとした気持ちでした」

父親は80歳で死去。葬儀はコロナ禍ということもあり、火葬式を選択。母親と増井さんの2人だけで、ひっそりと送った。