一卵性母娘

後日、父親の入院費の明細と領収書が届き、増井さんは、父親が大量に下血したとき、1.8リットルも輸血されていたことを知り、愕然とする。

「正直、輸血の無駄遣いだと思いました。平時なら、輸血によって延命することで、家族や親戚が最期のお別れをすることができるなど、輸血の意味は大きかったと思います。でも、コロナ禍で延命したとしても、誰も会わせてもらえないにもかかわらず、父は1カ月半ほども1人で苦しく生きながらえました。下血の日に逝かせてもらったほうが、父は楽だったと思います」

確かに、輸血で生きながらえても、また認知症で寝たきりの要介護4の生活に戻るか、それ以上に悪い状態の生活になるかしか道はなかったのだ。

「私は、延命も輸血も拒否していました。それは、私の意向が8割ですが、父の身体的苦痛を思ってというのも2割ぐらいはありました。父にはさんざん振り回されましたが、最終的には、『1.8リットルも輸血してもらって大変だったね。まぁ、お金を捻出するこっちも大変だったけど……。あの世でゆっくり休みなよ』と声をかけたいと思います」

水に浮かべてある火のついたアロマキャンドル
写真=iStock.com/George Melin
※写真はイメージです

2014年に父親の異変に気づいてから約7年。増井さんは途中、仕事と父親の介護の疲れやストレスから、体調を崩して救急車で運ばれたり、手術を受けたり入院したりしたこともあったが、母親との二人三脚で支え合って乗り越えた。

「行動力、決断力という点において、私がいなかったら、あんなにスムーズに父を施設に入れられなかった。母の監視力がなかったら、父の介護問題から目を逸らし気味だった私では、電動機付き自転車で徘徊する父が、もっと重大な事故を起こしていたかもしれない。。母と私はお互いのためを思うからこそ、頑張ることができました。ただ、精神的自立をしているかというと、していないのかもしれません」

増井さんは現在45歳。当初は47歳で早期リタイアを計画していたが、コロナ禍を経て、勤務先が在宅勤務制度を導入し、労働環境が改善されたため、「もう少し働いてもいいかな」と思えるようになったという。

「私は一人っ子だったので、“ボケ父の娘”という宿命をもろに背負わされてしまい、そうこうしている間にもう40過ぎのオバサンになってしまいました。けれど、ボケ父から解放され、コロナ禍という災いが転じて理想の就業形態を手にでき、“目指していた自分”の状態に近づいてきている感があります」

先日、勤務先で受けたストレス検査では、「ストレスは見受けられませんでした」という結果が出た。これまでは例年、「心身に深刻なストレス症状の疑い」とか、「重度のストレス症状がみられる」とか、「カウンセリングの勧め」など、“ストレス人間”の烙印を押されていた増井さんだが、父親との死別と在宅勤務制度の影響は大きかったようだ。

「介護は、割り切りが大切だと思います。『施設に入れるなんてかわいそう』と思わないこと。周りからどう思われるかは気にせず、自分と一緒にいる家族(私の場合は母)の心と体を守るほうが、はるかに大切だと思います」

それでもやはり、「定年まで働く気はない」という増井さん。まずは父親のいない空間を存分に満喫したあと、仲良しの母親と2人、旅行に出かけるのが夢だと語る。

途中、「父を捨てて母と逃げればよかった」と後悔を口にした増井さんだったが、その表情や口調からは、最期まで介護しきったことによる充実感がにじみ出ていた。

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