内心ショックだった娘の言葉
2年前くらいから、ふくよかでメガネをかけた女性がテレビに映ると、私の娘が「あっ! ママにそっくりな人が出てるよ!」と言うようになった。
私はそういうとき「無」でやり過ごしていた。
だけど内心、ショックを受けていた。
太っているのは事実だし、娘はただ目の前にある現象を口にしているだけなのだから何も間違ってはいない。でも「そういうことを人に言ってはダメだよ」と注意しなきゃいけない。今はそういう時代。
しかし私はそれができなかった。太っている自分が恥ずかしくて。太っているんだからそりゃ言われるだろう、言われる方が悪いだろうっていう旧来の概念が心身にしみついているから、じっと黙ってしまっていた。そうやって平然としていることで、それ以上自分が傷つかないようにするので精いっぱいだった。
でも人の容姿について言及する行為をナチュラルにやらせていてはいけないと思って、娘がまた「ママは太っている」と言ってきたとき、真剣に伝えた。
「ママはそのことをちゃんと知っているから、もう言わなくていいよ。太っている人が目の前にいて、太っているなあ、と思っても、それを口に出すのはすごく失礼なことなんだよ。してはいけないことなんだよ」
すると娘はそれからまったく言わなくなり、私はそれだけでものすごくラクになった。
「言われたくないことを言われない」というだけでストレスは劇的に減少する! その事実に驚いた。
「ショックを受けている」自分を認めて味わう
そうやって私は「自分は太っている」という前提で暮らしていながらも、それを喜んでいるわけではない、むしろショックを受けているんだ。
それを認め、しっかり味わってみることにした。
それまでは「私は太っている」という言葉を頭で唱えると「わた」くらいで「ハイハイ」とかき消し、ないことにするというのを繰り返していたことに気づいた。「私は太っている」の気配を感じるだけで全身が緊迫し目をそらす感じ。そうすることで、私は自分が傷つくのを全力で防いでいた。
心の中で「私は太っている」と最後まで唱えてみることに意識を向けた。ああ、太っている、そうだ、太っているなあ。知っているよねぇ。知っているから、わざわざ唱えたくなかったよね。別に現実を受け入れないとか逃げてるとかじゃなくて、ただそれを受け止める準備がまだできてなかった。やっと私はこれを味わう余裕が出てきたんだ。ただそれだけのことだったんだ。
そうやって、「私は太っている」という事実と、それを知っていた私と、向き合いたくなかった私と、そうすることで自分を守っていた私、それぞれの私がいることを認識し、「ああ、私たちがいるね」と、その存在を心でじっくり味わった。
すると、それまでは「私は太」くらいでワーワー!! ギャギャー!! と騒がしくなった心が、「私は太っている」と唱えてもスッキリ気持ちが落ち着いてきた。