ニュース解説を聞いて「そうとは限らない」と考えられるか
そういう教育を受けた人が社会人になると、どうなるか。
たとえば、テレビで、池上彰さんのような解説者の時事解説を聞いたとします。欧米にも同じような番組があるのですが、その際、欧米の視聴者の反応は、高等教育を受けた人と受けていない人で、はっきり2つに分かれます。
欧米でも、高等教育を受けていない中学・高校卒の人は、テレビ解説を「ふむふむ」と素直に受け止める。一方、大学以上の高等教育を受けた人は、自分の頭で考え、人のいうことに疑問を投げかける思考習慣がついているため、テレビ解説を聞いても「そうとは限らないよ」というような反応を示すのです。
一方、日本では、高等教育を受けた人もそうでない人も、一様に池上さんの解説に「そうだったのか」と満足して聞き入っている。この「そうとは限らないよ」思考の弱さが、日本では、不必要な自粛に対しても、誰も異論をはさまない要因の一つになっていると、私はみています。
同調圧力を唯々諾々と受け入れて、思考停止する素地には、この国の高等教育の異様な貧しさがあるのです。
自己責任論があふれた社会では同調圧力が強まる
さらにいうと、私は21世紀初頭以降、この国で「新自由主義」が進行したことも、同調圧力を高めることにつながったと見ています。
国が国民に「自助」を求め、世間には「自己責任論」が溢れる。そういう社会的空気のなかでは、人は「誰も頼れない」と思い、孤立感を深めていきます。そして、人は孤立を感じると、さらなる孤立を恐れて、同調圧力に屈する傾向が強まるのです。
そうして、同調圧力が高まる条件がずらりとそろった社会をコロナウイルスが見舞うと、どうなるか。
それが、現在起きている広範な「思考停止」状態です。
もともと、日本人は権威に弱く、道徳にも忠実です。それらは、むろん美徳でもあるのですが、その反面、「自分の頭では考えないで、答えを出す」という思考停止状態に陥りやすい傾向でもあります。
自分の頭で考えずに答えを出すのは、一種の「宗教行為」です。「信じる者こそ救われる」という言葉もありますが、宗教は「信念の体系」であり、答えは最初から用意されています。聖典の記述は、疑うべくもない真理であり、それを実験によって検証することなど、不敬以外の何物でもありません。
一方、実験によって検証し、実証するのが「科学」ですが、今の日本人は、残念ながら科学的精神が乏しくなりつつあると、私は思うのです。
たとえば、コロナ対策をめぐっても、この国では、さまざまな施策の費用対効果に関するデータを一向に集めようとしません。
そして、2021年は、「とにかくワクチンが普及するまで、国民全体で我慢すれば何とかなる」という「信仰」のもと、自粛を続けました。2022年は、ワクチンが普及した結果、その大義名分を使えなくなったため、理由も目的も効果もはっきりしないまま、自粛策が続けられているのです。
要するに、費用対効果の検証もなく、ロジックもないまま、ひたすら「前例」が踏襲されているのが、2022年の実相です。