教授に逆らう若者を育てないとイノベーションは起きない
その背景には、「教授に逆らうような若者」をつくらなければ、社会は進歩しない、イノベーションは起きないという教育的な確信があり、またそれを支える社会的コンセンサスがあります。
大学教授が身につけている知識は、はっきりいって過去のものです。その過去知に異を唱えるような若者をとらなければ、高等教育の名に値しないという矜恃です。私にいわせれば、アメリカの大学は、荒唐無稽な若者を受け入れて育てるから「コウトウ教育」なのです。
日本の高等教育は「初等教育のハイレベル版」
一方、日本では、大学(高等教育)でも、初等・中等教育と同じ調子の「側頭葉・頭頂葉教育」が続きます。
明治維新以来、わが国の高等教育は、欧米にキャッチアップするための人材養成機関としての役目を務めてきました。当初はお雇い外国人、明治中期以降は夏目漱石のような留学経験者が学生の指導にあたり、欧米直輸入の知識をワクチンを打つように植え付けました。
そして、教授のいうことを正確に身につけた若者が、官界、実業界に進出していく。
また、教育界に進んだ者は、師範学校や高等学校、中学校などの教師として、大学で得た知識を複製するように国民レベルにおろしていく。
それは、列強に短期間でキャッチアップするには、じつによくできた知識の伝達システムでした。その結果、半世紀足らずで、少なくとも自意識的には「一流国」の仲間入りを果たしたのです。
日本の高等教育は、今もその成功体験を受け継いでいます。わが国では、高等教育でも、「教育」とは、教授のいうことを丸暗記させることであり、「学ぶ」とは教授のいうことに異論を唱えず、丸暗記することなのです。そして「学ぶは真似ぶ」という言葉が、学習法の要諦として語られる社会になりました。
そうした成功モデルは今も踏襲され、現在の高等教育機関も、簡単には異論のはさめない場になっています。
iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、学生時代、教授のいう通りに仕事のできない人だったので、「ジャマナカ」と呼ばれていたそうです。
私自身も、東大医学部という場では、とうてい大学に残れる学生ではありませんでした。教授に従って、日々、大名行列の末尾について回る。それに象徴される体制に疑問を抱く者は、日本の大学医学部では医局に残れないのです。
いってみれば、日本の高等教育は「初等教育のハイレベル版」でしかありません。知識のレベルの違いはあっても、教え方や学び方は、子供用の教育のままなのです。教師(教授)のいうことをしっかりノートにとって覚える。そうした学生が、大学でも優等生とされます。