“ありのままに見る”ことは案外難しい

目に映ったままを見るというのは、簡単そうに見えて、案外難しいのです。でも、これができるようになると、森羅万象、世の中にあるすべてのものが先生になります。

松原正樹『心配ごとや不安が消える 「心の整理術」を1冊にまとめてみた』(アスコム)

花は紅。紅い花が咲いている。その事実こそが真理です。「この紅い花は、もっとも美しい瞬間を見せてくれている。けれど、この美しさも永遠には続かない」。

そんな気づきが、この世が無常であることを教えてくれます。

「花の紅がこうして美しく見えるのは、葉の緑があってこそ」と思えば、この世はそれ一つで完成することはなく、何かの支えがあって、何かの縁があって、成り立っているのだなと考えることができます。

禅の考え方に触れることは、心の受信装置の感度を上げること。そうとらえていただくと、わかりやすいかもしれません。

ありのままに見る。まず、ここにチューニングすることがスタートで、ありのままの姿から真理に気づくことを繰り返すうちに、受信装置の感度はどんどん高まっていきます。

世の中のすべてが先生であり、その教えは受け取る人によって幾通りにも姿を変えます。そう考えれば、この世はいかようにも生きられます。受信装置の感度が高まれば一つのレンズに偏ることなく世の中を見られるようになり、やがて、心配の芽が生まれる機会もうんと減ることでしょう。

苦=感情に執着してしまうこと

心配ごとに限らず、怒り、恐れ、不安、焦り、憎しみ、嫉妬といった感情は、仏教ではすべて苦ととらえます。感情そのものが苦なのではなく、その感情に執着してしまうことこそが苦です。

苦にとらわれているとき、人はトランス状態にあります。日本でトランスという言葉を使うと、極限まで自己を追い込んだり、あるいは、薬などの力を借りて異次元へトリップしたりという印象を持たれるかもしれません。

しかし、トランスを直訳すれば「いつもとは異なる精神状態」という意味で、誰かの発したひと言に心がかき乱されているときも、悲しみに引き込まれて心が閉ざされているときも、どちらもトランス状態ということになります。

苦の感情に心が振り回されトランス状態になるとするならば、裏を返せば、穏やかで安定した状態がスタンダードであるといえます。人間の感情は安定がデフォルトセッティング(基本設定)だからこそ、苦がトランス状態を生むのです。