しまいには「これじゃダメだ」と烙印を押された

ところが、そもそも、その顧問会議とやらに出す資料に何が必要なのかということがわかりません。そこでまた質問すると、もみじの家の初年度の資料だから、まず開設までの背景が大事で、なぜもみじの家が必要なのかとか、どうして今、医療的ケア児が増えていて、どんなに家族が困っているのかといった情報をスライドにまとめるように言われます。そう説明されて初めて、あぁ、なるほどなって思いますが、事務方の勘所がない僕は言われなきゃわからないことだらけ。

そう言われて自分なりに必死に資料を作っても、スキル不足で最低限の体裁さえ整わないため、繰り返しやり直しを指示されます。

何度やっても目覚ましい改善が見られず、しまいには「これじゃダメだ」と烙印を押され、パソコンを器用に操る人に代わりに資料を作ってもらわなければならなくなります。屈辱です。自分は全然役に立っていないということを日々、痛いぐらいに思い知らされました。

死ぬまでに一つでいいから「きれいなグラフ」を書いてみたい

だから、そんな僕が、まさかエクセルでグラフを書き、それをパワーポイントにコピーして、あろうことか一人でプレゼン資料をまとめてしまう日が来ようとは、お釈迦様でも知らなかったでしょうし、誰よりも自分自身がビックリ仰天です。

エクセルの文字入力に慣れてきた頃でも、さすがにグラフを書くレベルに上達するのは絶対無理だと思っていました。いったいどうやれば、あんなきれいに色分けされた円グラフや、棒グラフと折れ線グラフが同居するデザインが仕上がるのか、まったく見当がつきません。あれは最上級クラスの技が必要に違いないと信じ込んでいましたので、軽々とグラフ入りの資料を提出する人たちを、僕はいつも尊敬のまなざしで見ていました。

「あんなきれいなグラフを、死ぬまでに一つでいいから書いてみたい」

これは少し大げさですが、それぐらいエクセルのグラフは僕にとって高嶺の花だったのです。