NHKアナウンサーだった内多勝康さんは、53歳のとき、以前から関心のあった福祉分野に転職した。「仕事」と「やりがい」のバランスをとるための転職だったが、新天地ではまったく仕事ができず、怒られるばかりの日々。内多さんは「自分自身がこんなに仕事ができないとは思わなかった」と振り返る。『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』(新潮社)より一部を抜粋して紹介する――。
男性シャツの小さなラベリアクリップオンマイク
写真=iStock.com/Di_Studio
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エクセルもパワーポイントも全くできなかった

実は僕は、ほとんどパソコンが使えませんでした。これは、事務を担う者としては致命的で、職場にとっては欠陥品が納入されたようなものでした。決して大げさに言っているのではなく、この件に関しては、僕はまさしくポンコツでした。

かろうじて、ワードはできました。NHKで仕事をしているうちは、ワードで文字が打てればコメントが書けるし、罫線が引ければ番組作りの際の構成表を作ることができます。それで十分、仕事になっていました。

「ワードだけで逃げ切れそうだ」と安心し、油断していました。その結果、僕は、エクセルもパワーポイントも全くできませんでした。それなのに、事務を担うハウスマネージャーになろうだなんて、今になってみればお恥ずかしい限り。滑舌の悪いアナウンサーみたいなもんです。

言い訳をするつもりはありませんが、僕もエクセルをいじったことくらいはありました。でも、ワードの感覚で入力しようとすると、文字が枠からはみ出したり隠れてしまったり、余計な操作をすると別の枠に飛んでしまったりで、一人で頭にくることもしばしば。「もう、なんなんだ!」とイライラ、イライラします。

短気な僕は早々に三行半を突きつけ、ワードのもとへ戻っていきました。エクセルに軽く浮気したことを悔い改め、ワードと一生を共にすることを固く決意することになったというわけです。いわんや、パワーポイントとは出会うことすらありませんでした。

そんな状態の男ですから、役に立つわけがありません。

常に誰かに助けを借りないといけない「半人前」の有様

何ができないって、会議に提出する資料が自力で作れません。お手上げです。会議のたびに常に誰かに助けを借りないと仕事にならない半人前の有様。一人前の仕事がこなせない情けなさに苛まれる日々でした。

しかも、会議は次々と開かれます。もみじの家の現場関係者で行う「コア会議」、病院長や看護部長を交えた「定例会」のほか、「企画戦略会議」「顧問会議」「運営委員会」……。そのたびに苛まれてしまうわけですので、結構へこみました。

今でこそ、どのタイミングでどんな会議があるかわかっているので前もって準備が出来ますが、当時は例えばこんな感じでした。

急に「来月顧問会議があるから資料を準備してください」とメールがきます。藪から棒の話に面食らって「え? それ何ですか?」と聞きに行きますが、「いやいや、だから、成育の外部顧問の先生方が集まる会議に出す資料が必要だから整理して」と返ってきます。