「国のために子宮を捧げよ」

それに加えて、世界中の女性が、「国に利益をもたらすために子宮を捧げよ」というメッセージからの攻撃に依然としてさらされている。

そのひとつの例がオーストラリアである。2004年、財務大臣(当時)のピーター・コステロは、少子化と年金費用の増加を理由に、オーストラリアの女性に国のためにもっと多くの子どもを産むようにと呼びかけた。「『1人は母のために、1人は父のために、そして1人は国のために』。〔彼は〕『家に帰って、愛国的な義務を今夜果たすように』と指示したのだ」。

女性が子どもを産む(またはさらに数を増やす)ことへの奨励は、国家による出生率政策とインセンティブによって、さらには子どもを持たないという決定が権威者によって踏みにじられていることによって支持されている。たとえば2015年に教皇フランシスコは、これに利己的な選択だという裁定を下した。

子どもが欲しくないという発言はタブー

女性が子どもを産むか否か、いつどのように出産するかを「選択」するにあたり、この種の条件付きの自由が存在することは、多くの母親の証言からも明らかである。たとえばイスラエルの有名なモデル兼女優は、このように述べている。

オルナ・ドーナト『母親になって後悔してる』(新潮社)

「私はプレッシャーをかけられています……3人目を産むようにと!……あらゆる人が私に言います。イスラエルでの〔ユダヤ人とパレスチナ人の〕紛争のため、安息日(シャバット)の夕食には少なくとも3人の子どもが必要であると」

また、あるドイツ人のブロガーは、こう発信している。

「2015年になっても子どもを欲しがることを期待されている女性として……女性と母にまつわる社会構造は深く根付いているため、多くの女性がいつかの時点でこのプレッシャーに(無意識に)屈服して子どもを産む……子どもが欲しくないという発言はタブーだ。私はほぼ毎日このタブーに直面している(なぜなら体内時計が刻々と過ぎている年齢だから)。あらゆる方面から尋ねられる。友人も同僚もかかりつけの医者も──誰もが私に、いつなの、どうするの、どうしてまだなの(!!!)と質問するのだ」。

要するに、子どもは必ずしも「自然の摂理」や「選択の自由」によって生まれるとは限らない。時には、私たちがそれ以外の道を持たない/見つけられないという理由で生まれてくるのである。