近所の男性が土地を貸してくれることになっていた

そんな葛藤の最中、ある日息子がニヤニヤしながら「お母さん、土地が見つかったよ。うちの前の空き地」と言ってきた。なぬ⁉ 12歳の小学生が近所の大人とどう話したのか――。そういぶかしんでいたら、玄関を叩く音。案の定、息子が話したという近所に住む男性だった。期限付きで土地を貸してくださるという。話を聞いていると、どうやらその方も息子を応援してくださるような話しぶり。なんとなく戦意をそがれた私は、「はあ、ありがとうございます」と頭を下げた。

けれど、その方が帰ったあと、私は少し冷静になって“やられた!”と思った。子どもには強気な私だが、大人相手になるとめっぽう弱い。息子はそんな母の性格を見越していたんじゃないだろうか。結局、すべて息子の思うように進んでいるじゃあないか。

とにかく、ニワトリを飼うことがどんなものかを知る必要がある。そういえば……と思い出したのは、烏骨鶏うこっけいを飼っている友人のこと。彼は長崎県北部・平戸で塩炊きを生業としている今井弥彦さん。お米や野菜など自分の食べる分の作物をつくったり、飼っている烏骨鶏の卵を採り、ときには絞めて食べたりという暮らしをしていた。彼の家に遊びにいきがてら見学して話を聞いてこようということになった。というのは、平戸には親しい友人一家も住んでおり、彼らに会いにいくのは私たち夫婦にとっても嬉しいイベントだったから、そこだけは気持ちが動きやすかったのだ。

純白の羽毛をまとう烏骨鶏(画像=『ニワトリと卵と、息子の思春期』)

長崎の海沿いでニワトリを飼う友人宅を訪れた

弥彦さんが海水を汲み上げる場所は平戸島の西海岸。根獅子ねしこ浜・人津久ひとつく浜と連なる一帯にあり、長崎でも有数の美しい浜辺。子どもたちがひとしきり遊び、疲れたころ、大きくて真っ赤な夕日が沈みはじめた。望遠レンズでのぞくと、太陽と海の境目は単なる一直線じゃなかった。ゆらゆらと線がたゆたうよう。これから太陽は海の向こうの世界を照らしにいく。そんな想像をさせる風景だ。この一帯は多くのキリシタンが暮らした地域でもある。西の果てに暮らせば、〈海の向こうの世界〉への感度はおのずと高まるものがあったのかもしれない。

日が沈むと、近くの弥彦さんの家に移動して宴の準備。私は近所の猟師さんからもらった猪肉で餃子のタネをつくっていき、台所でビールを飲みながら包んでは焼きまくった。大人も子どもも楽しんだ夜だった。

そして翌朝、次男と末っ子は大はしゃぎで卵を採ってきた。私も鶏舎をのぞいてみる。烏骨鶏たちが思い思いに行動する様子が興味深く、しばらく眺めていた。こんなにじっくりニワトリを見たのは初めてかもしれない。いや、小学校の飼育小屋にはニワトリとウサギが飼われていたっけ。そんなことも何十年ぶりかに思い出した。でも、なぜそれ以来ニワトリを見ていない気がするのだろう。こんなにポピュラーな生き物なのに――と思い巡らせて気づいた。おそらく家畜だからだ。