なぜ「総合誌」にこだわり続けるのか
——『 PLANETS』は当初サブカルチャー批評誌でしたが、少しずつ総合誌として話題を広げていった印象があります。『モノノメ』は創刊当初から幅広い話題を扱っていますね。「総合誌」という形式にこだわるのはなぜですか。
【宇野】今はみんなサプリメントを摂るような形でコンテンツを消費していますよね。たとえば、作品の内容よりも作家が作品をものにするまでの経緯が注目されて、作品はつまらなくてもそれはあまり問題にならなくなっている。僕はこの状況が、社会の創造性にポジティブに働くとは正直言って考えられなくて……。しかし、いまはコンテンツを消費する快楽の何割かは、「みんな」が褒めているものを自分も褒めて「みんな」と同じ側にいることを確認する共感の快楽が占めている。
もっと言ってしまうと、これは自分が欲しい快楽をあらかじめ自覚していて、その快楽をどれほどいい精度で得られるのかを追求している。しかし、新しい快楽を知りたい、という受け手の欲望が枯れてしまうと、ポップカルチャーから多様な創造性はなかなか生まれてこない。だから、予想外の物事に出会うことが必要だと思っています。
だから、「みんな」が読んでいるものや、過去の自分が呼んだものから好きそうなものを進めてくれるAmazonだけではなくて、余計な本を視界に放り込んでくれるリアルの本屋さんであり、メディアでいえば紙の雑誌、特に総合誌が要るのだと思います。
目指すのは「ワンプレートのような総合誌」
僕は人間の一生や365日をまるっとカバーした雑誌を作っていきたいと思っているんです。もちろんこぼれ落ちるものもありますが、必要な栄養素が絞られているサプリメントじゃなくて、穀物もあれば肉も野菜も載っているプレートにして総合性を出していく。それが総合誌を出す狙いです。
——ワンプレートとしての総合誌ですか。
【宇野】比喩的にいうと、コース料理がお酒を嗜みながら料理やおしゃべりを楽しむ設計になっているのに対して、プレートは下戸の料理です。主菜や副菜がいっぺんに出てきて三角食べを楽しむことができる。つまり、料理と料理を「合わせる」快楽がある。そして。おしゃべりより食べものそのものと向き合う形態です。僕が作りたいのは定食のプレートみたいな雑誌なんです。
今日の人付き合いの話に寄せていくと、僕はアルコールと距離を置くことによって、プレート的な総合性を回復したかった。それが飲み会に行かないことであり、メディアであれば総合誌だったということです。