僕もかなり陰湿な嫌がらせを長期にわたって受けましたし、こういう世界にかかわっていたら本当に自分はダメになると思って、思い切って離れることにした、という事情があります。
仕事内容より人間関係で評価される世界は単純に間違っていると思うし、党派に身を置くと特定の文脈でしか物事を見られなくなって人間の創造力が枯れていくことも嫌だったんです。
業界の外側にいたからこそ、フラットな目線を持てる
その後しばらくは、同世代の気の合う仲間と付き合うようになっていたのだけれど、これもあまりしなくなった。特に何かがあったわけではないのだけれど、ちょっと違和感を覚えることも多くなっていって……。これからの出版業界をどうすればいいか、どういうコンテンツをつくるべきかという建設的な議論もたくさんしたのだけど、やっぱり近いところで仕事をしている仲間たちとばかり付き合っていると、本当にこれでいいんだろうかって思えてきたんですよね。
その少し前からお酒を飲まなくなったこともあって、よくテレビに出ていた頃にはすっかり業界の人とはあまり絡まなくなっていました。ほんとうに、ただなんとなくフェードアウトしていった。1年に1回とか2回とか、たまに会ってご飯を食べるくらいのことしかしなくなった。
でも、そのほうがしっくり来るものがある。酒の席で業界の話をするというのが、心底つまらなく思えてきていて、そうじゃない付き合い方ができる人とだけ、結果的に付き合っています。それも、3人以上で会うことはもうほとんどなくて、基本的に1対1ですね。
でも、これって僕にとっては原点回帰のようなところがあって、もともと僕は30歳近くまで、京都でサラリーマンをするかたわら、同人活動をしていたわけです。だから当時の批評やサブカルチャーの「業界」の「空気」のようなものがまったく分かっていなかった。
もちろん、当時はもうインターネットもブログの時代になっていたので、その「空気」を感じることはできたのだけれど、その「空気」が自分を取り巻いて、そこに馴染まないといけないという感覚はなかったわけです。でも、それが僕の仕事にはプラスに働いたと思います。
要するに「ギョーカイ」の空気をとるに足らないものだと思える環境にいたからこそ、僕は独自の問題設定をすることができた。具体的には褒めるべき作家や、作品の「筋」のようなものが概ね決まっていたのだけれど、僕はそういったものを、あまり気にしないで評論活動を展開することができた。これがオリジナリティとして機能していた側面がかなり大きかったと思います。