3歳で親元を離れた上皇陛下

天皇陛下についても少し触れておこう。今や忘れられかけているかもしれないが、天皇陛下が上皇・上皇后両陛下と「親子同居」の暮らしの中でお育ちになったことは、当時は画期的な出来事だった。

大正天皇も昭和天皇も、親子同居の暮らしを強く望まれた。しかし、その頃の宮中では、「親子が一緒に暮らすと厳しい躾ができない」「親子愛・家族愛などは私的な感情にすぎず、むしろご公務の妨げになる」という考え方が根強かった。

そのために、たとえば上皇陛下の場合は、生まれてわずか3年3カ月で親元から引き離された。宮内省の役人や看護師などがチームを組んでお世話にあたったが、まるで“おとぎ話の王子さま”のように扱って(社会教育学会編『皇太子さま』)、昭和天皇は苛立ちを覚えられたという。結局、上皇陛下は昭和34年(1959年)に上皇后陛下と結婚されるまで、「家族」生活というものを経験されることがなかった。

「親子同居」という“新しい”暮らし方

今、振り返るとずいぶん非人道的な話としか思えないが、もともとは京都の公家の風習だったという(宮本常一氏)。昭和天皇が生まれて2カ月あまりで親元から引き離された時、母親の貞明皇后(大正天皇の皇后)は「生まれつき快活そのものだったのに、悲しみのあまり体調を崩された」(エルヴィン・ベルツ『ベルツ日本再訪』)ことも伝えられている。

天皇のお子様が当主となられる直宮家じきみやけでの親子同居の先駆けは、昭和天皇の一番下の弟の三笠宮家だった。そのことを、同家のご長男だった寛仁ともひと親王は「初めて歴史に挑戦した」(『皇族のひとりごと』)と記しておられた。

しかし、宮家ではなく内廷(いわゆる天皇家)で親子同居を経験されたのは、上皇・上皇后両陛下のもとでお育ちになった天皇陛下が最初だった。

先頃、天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見(2月21日)と敬宮としのみや(愛子内親王)殿下のご成年を迎えられてのご会見(3月17日)が、相次いで行われた。親子同居という暮らしが内廷に新しく取り入れられたことの大切さを、改めて強く感じさせるご会見だった。

天皇陛下のお側近くで暮らすことで、敬宮殿下は今、皇室の中で誰よりも多くのことを天皇・皇后両陛下から直接、学んでおられる。それは、どのような教育機関によるより濃密で質の高いものだろう。先日のご会見で敬宮殿下がまとっておられた独特の“オーラ”(風格・チャーミングさ)は、そのことを何よりも雄弁に語ってくれた(本連載3月24日公開の拙稿 「結婚後も皇室にとどまりたい」皇室研究家が初の記者会見から読み取った愛子さまの裏メッセージを参照)。

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