港湾都市オデッサへ――20世紀最高のヴァイオリニストの故郷
「黒海のお真珠」と呼ばれる美しい港湾都市オデッサは、ウクライナ有数の保養地であり、また多くの商船や貨物船が寄港する海運の拠点でもある。
この街の観光名所は、なにをおいてもセルゲイ・エイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』で知られる、「ポチョムキンの階段」だろう。1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を20年後に映画化し、市民を虐殺する場面は映画史上有名なシーンの一つ。高台にある市街地と港を結ぶために建設されたもので、階段の上から眺めると黒海が間近に見える。
私がオデッサを訪ねたのは、20世紀最高のヴァイオリニストの一人ナタン・ミルシテインの演奏が大好きだったからである。彼が演奏したバッハの無伴奏や、ブラームスの協奏曲の優美さの源が、どんなところだったのかを見てみたかったのだ。
1904年、オデッサ生まれ。ペテルブルク音楽院でレオポルト・アウアーに学び、1923年にデビュー。ピアニストのホロヴィッツと出会い、共演旅行をするなど、生涯の友人となった。生涯の友人となる。1925年からたびたび国外に演奏旅行したが、スターリンの独裁が始まり、故国に帰ることができなくなった。1929年、アメリカ・デビューを果たし、大成功を収める。第2次大戦中、アメリカ合衆国の市民権を得た。
ミルシテインの回想録『ロシアから西欧へ』によると、ミルシテインは一時期「パッサージュ・ホテル」の近く、ティラポルスカヤ通りに住んでいたらしい。オデッサは1泊だけでポチョムキンの階段のほかは、ミルシテイン回想録を手掛かりに、ゆかりの場所を散策したり、カフェでお茶をしたりしたぐらいだったが、西欧文化を受け容れた瀟洒な街並み、黒海に面した温暖な気候など、ウクライナのもう一つの顔を見ることができたと思う。
美しい街と人々の暮らしを破壊するな
ロシア軍のウクライナ侵攻から3週間が経った。そしていま、首都キエフをめぐって、二つの国の軍隊と民衆が向き合っている。
ウクライナの国土は、建国、支配、独立の歴史を重ね、たびたび戦場になってきた。なかでもキエフは、「ルーシ=ロシア」の源流であることから、民族や国家のアイデンティティーを象徴する都市であり、両国のせめぎあいは、これからも続いていくことが心配される。
金色に輝く聖堂群、ボディール地区の街並み、ドニエプル川畔の風景、ウクライナの郷土料理ボルシチの味、聖堂の中で熱心に祈る人々を思い浮かべながら、ロシアによる侵攻が一刻も早く終わることを願ってやまない。