選手は監督の敵
事実、西鉄の黄金時代を築いた名将・三原脩さんは、「選手は監督の敵である」と語ったことがある。どういうことか。
監督には目指すべき理想の野球がある(そもそも理想のないリーダーは論外だ)。それを具現化すべく戦略や戦術を立て、それをもとに選手を強化し、配置し、動かそうとするわけだが、はじめからうまくいくことはまずない。
監督はチームを第一に考えるのに対し、選手はどうしても自分のことを中心に考えるからだ。
よしんばチームのことを自分より優先することができたとしても、監督の意図や考えが理解されるまでには時間がかかる。当然、結果も出ないから、選手たちにはしだいに監督に対する不信感が芽生えていく。
しかし、だからといって選手にすり寄ってご機嫌をとったり、迎合したりしてはいけない。くり返し、くり返し、自分の信ずるところを説き、選手に「ついていこう」と思わせなければならない。
「勝たせてくれるリーダー」に人はついていく
そのためには、野球の理論や知識はもちろん、言動、立ち居振る舞い、人格にいたるまで選手に負けてはならない。選手と戦い続けなければならないのだ。その戦いに敗れた瞬間、信頼関係は崩壊する。
だからこそ、三原さんがいうように「選手は敵」なのである。ただ自由にやらせればいい、馴れ合えば選手はついてくると考えるのは大間違いなのだ。
たとえ結果が出なくても、選手と戦いながら正しい強化法を実践していけば、少しずつであっても成果が生まれはじめる。それにともない、選手の信頼も徐々に厚くなっていく。
そうすれば、「この監督なら勝たせてくれるのではないか。この人についていこう」と思うようになっていく。
こうして築かれていく関係こそが、ほんとうの信頼なのである。やはり信頼は、戦いの中から築かれるのだ。