結婚して24年、夫からはじめて言われた「ありがとう」
しかし担当医は繰り返し説得を続けた。しばらくして看護師も部屋に入ってきて「大変なのはわかります。けれども奥さんならできるわよ。連れて帰ってあげてよ」と頼まれた。
ついに妻が根負けする。
「わかりました。引き取ります」
その瞬間、部屋にいた全員が拍手をしたという。職員は夫に近づき、「旦那さん、良かったわね。家に帰れるわよ」と報告した。その時だった。夫が妻に向かって「ありがとうね」と言ったのだ。結婚して24年、夫からはじめて言われた「ありがとう」だった。
「封建的な人ですから、便まみれのストーマを交換しても『悪いな』とは言っても、『ありがとう』や『ごめんね』は言いません。その時はよほどうれしかったのでしょう。『ありがとうね』と言われて、私は『しょうがないわね』と答えました」(妻)
安らげる時間も場所もなく、ただただ疲れる日
2日後の12月はじめに、夫は自宅に戻った。無事、最後となる年末年始を家で過ごせのだ。しかし、それから翌年夏に亡くなるまでのおよそ半年の介護は壮絶だったという。
「電動ベッドですから機械でベッドを動かして体を起こせるのに、主人は私に『起こして』というんです。向かい合って両脇に手をはさんで起こすのですが、素人で起こし方が下手だから腰を痛めてしまって。トイレに連れていってあげようとして、フローリングで二人して転び、介護の方に緊急でわが家に駆けつけてもらったこともありました。主人は1階、私は2階に寝るのですが、夜にしょっちゅう私の携帯に主人から電話がかかってきて、『テレビをつけて』とか、いろいろな要求をされるんです。要するに寂しいし、話がしたいんですよね。自分の時間なんてないです」
「娘は仕事に忙しくしていて、私と主人、ほぼ二人きりの生活で朝から晩までマンツーマンで。介護の方にお願いして、自転車で買い物に出かける。2時間経たずに戻っても、主人から『遅いなあ! どこいってきたんだよ。なんで早く帰ってこないんだよ!』と怒られる。家の中には訪問医や訪問看護師の方、ヘルパーさん、お手伝いさんなどいろんな方が出入りして、自分の家であって家でないような感じでした。安らげる時間も場所もなく、ただただ疲れる日々でした」
疲労困憊の日々でも妻は、ひたすらがんばった。