互いの「心の傷」に気づければ寄り添い合える

じつは、ミヒャエルは子どものころに自分の願望を母親に真剣に受け止めてもらえず、そのことで心に傷を負っていました。そのためミヒャエルにとって、ザビーネが自分の願望を満たさなかったことは、傷口に塩を擦り込まれるような行為だったのです。けれどもミヒャエルは、「ザビーネに対する自分の反応」と「母親との経験」が関連していることに気づいていません。それゆえ、ザビーネに対する怒りの感情を抑えられなかったのです。

もちろん、ザビーネも彼女自身の「内なる子ども」に操られています。ザビーネは子どものころに両親を満足させることがなかなかできなかったため、彼女の「内なる子ども」は“非難されること”にとても敏感になっています。ですから、ミヒャエルの非難は、ザビーネが子どものころに持った感情を再び呼び起こすことにもなったのです。ザビーネは、「おまえは価値のない、ちっぽけな存在だ」と言われているように感じ、屈辱感を抱き、傷つきました。このように些細なことでケンカになってお互いに深く傷つくことがあまりにも頻繁にあるため、二人共、離婚したほうがいいのではないかとときどき考えています。

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でも、もし二人が「内なる子ども」の願望と傷に目を向けていたら、ソーセージや非難の態度といった表面的なことについてケンカするのではなく、本当の問題について話し合うことができていたでしょう。そうしたら、お互いにもっと分かり合え、攻撃し合うのではなく、寄り添い合えるようになっていたはずです。

あらゆる争いの火種となる「内なる子ども」

「内なる子ども」に気づかないことで、夫婦間のケンカだけでなく、さまざまな争いが起こってきます。この関連性を理解すると、多くの争いが、自意識を持つ大人同士の争いではなく、「内なる子ども」同士の争いであることが見えてきます。

たとえば、ある会社員が上司から非難されて仕事を投げ出したときや、ある国の政治家が国境侵犯を理由に他国に対して軍隊による対抗措置をとったときも、同様です。多くの人が自分自身や自分の生活に満足していなかったり、争ったり、その争いが解決に向かわずどんどん激しくなっていったりするのは、自らの「内なる子ども」の存在に気づいていないからなのです。