「労働」と「仕事」の違い
なぜ見た目まで美しい農産物を求めるという、農家と消費者が共有している価値観がやりがい搾取につながってしまうのでしょうか。それには、日本の古くからの特徴的な働き方が関係しています。
かつて日本には労働は存在しませんでした。どういうことかと言いますと、実は日本にかつてあった働き方は「労働」とは異なるものだったのです。ここではこれを「仕事」と呼びたいと思います。「一緒じゃねぇか!」という突っ込みがありそうですが、労働と仕事は異なる概念です。
労働という言葉には、「強制労働」という言葉があるように、生活や給料のためにやりたくもない作業を無理やりやるというイメージがつきまといます。明らかに働くことに対するマイナスイメージを含んでいます。
一方、仕事という言葉にはプラスのイメージが含まれます。「仕事人」という言葉から受ける響きを思い浮かべてみてください。その言葉には、自分の仕事にプライドを持ち、なおかつ社会にも認められているというプラスのイメージが含まれているはずです。
伝統的な日本社会における働き方は、労働ではなく「仕事」でした。この働き方の存在が、皮肉にも農業にやりがい搾取をもたらしてしまうのです。
奴隷的な活動としての「労働」
日本は明治維新以後、欧米から技術を学んで国力を増強させようとしてきました。いわゆる富国強兵です。西洋からは、近代的な技術はもちろん、彼らの価値観を構成している様々な概念も輸入しました。例えば、福沢諭吉がlibertyという英語から「自由」という訳語を、西周がphilosophyから「哲学」という言葉を作ったように、西欧の概念は徐々に日本でも広まっていきました。
日本にはこの時、ヨーロッパから「労働」という働き方ももたらされました。要するに「働くときは全身全霊で働く。そこに遊びを持ち込むなんて怪しからん」という価値観です。ヨーロッパにおける労働がこのような価値観だったのは、古代からヨーロッパにおいては労働とは奴隷が行うことだったからです。ドイツの政治哲学者であるハンナ・アレントは、主著『人間の条件』の中で、古代ギリシャ以来のヨーロッパ的な労働を概観した上で、次のように述べています。
要するに、労働とは生活するための必要性に迫られて、嫌々ながらもするしかない単なる苦役だということです。
それでは、ヨーロッパで実際に労働に従事している人々には、労働の楽しみがなかったのか。私にはそうは思えません。どんな辛い日常の中でも希望を見出して生きるのが人間だからです。労働を単に必要性に迫られた奴隷的な活動であると一方的に決めつける超越論的な視点は、あまりに上から目線でしょう。それでも、労働の中に楽しみを見出す考え方は、ヨーロッパ社会の支配的な価値観とはなりませんでした。
ヨーロッパは階級社会として成立したこともあり、近代化以降もこの考え方は大きく覆されることはありませんでした。身分が低い人の労働観を掬い上げて言語化し、それを支配的な労働に対する価値観の中に組み込むということにはならなかったのです。貴族にせよ資本家にせよ、労働者を雇用している人にしてみれば、労働者は労働に楽しみなど見出さず一心不乱に働いてもらった方が「合理的」だと考えたからです。
このように、日本が輸入したヨーロッパの「労働」には、必要性に迫られた「苦役」の考え方が根強く存在しており、労働に従事する労働者に対する差別意識が根強く存在していたのです。