経費が高騰しても愛情とプライドを持って働く日本の農家

洗練された農作物を商品化するためには、相応の資材が必要です。農業資材は年々高騰しています。燃料はもちろん、箱代、運賃、包装用のビニール袋代など数え出したらきりがありません。商品価格に変わりがないままに、商品の品質、味や見た目を維持しなければならないので、資材が高くなれば利益はますます薄くなっていきます。

一方、生活のために必要な所得の下限には限度があります。食物を生産しているからと言って、お金がなくても生活できるわけではないのです。農産物の価格は、そう簡単には上がらない。ならどうするでしょうか。普通に考えれば、大量生産の方向に進むことになります。当然、生産目標などを考える必要も出てきます。

そうなったら、遊んでいるわけにはいきません。失敗は許されなくなる。客観的に見れば、それは自由意志を奪われた単なる「労働」でしょう。しかし悲しいかな、それでも農家は、その中に楽しみや自由意志を見出し、愛情とプライドを込めた農作物を栽培しようとする生き物なのです。それこそが日本社会における働き方の特徴であり、まさしく、やりがい搾取を生み出す構造そのものです。

それだけではありません。社会は、より狡猾に農家からのやりがい搾取を図っています。どういうことでしょうか?

「DASH村」が変えた日本の農業へのイメージ

一昔前の農業イメージと言えば、3K(きつい、汚い、危険)が当たり前でした。私の実感では、バブル崩壊後の1990年代くらいまでは、そんなイメージがほとんどだったと思います。

しかし2000年頃から、農村生活をノスタルジーと掛け合わせるような形で賛美するイメージが流れるようになりました。ある種のロマンチックな農業イメージです。具体的には、日本テレビ系列「ザ!鉄腕!DASH‼」の人気コーナーである「DASH村」や、TBS系列「金スマ」内の「金スマひとり農業」などをイメージしてください。

「DASH村」が始まったのがちょうど2000年です。いわゆる「失われた20年」の真っ最中。日本はデフレから抜け出せず、社会全体に行き詰まり感が漂っていました。所得は頭打ちどころかマイナス。ストレス解消をしようと思っても先立つものがなく、海外旅行などもおいそれとは行けない。そのような時に注目されたのが、国内での地方への観光や農業でした。

同じ頃、民俗文化や地域的な伝統文化にも社会的な関心が向けられるようになりました。都市住民にとって、文化的他者の確認作業としてのエキゾチシズムを日帰りで体験できる地方や農村・農業が、消費の対象となったのです。こうして3K一辺倒だった農村・農業イメージも、次第に変化していったのです。

米を収穫した農家の老夫婦
写真=iStock.com/kazoka30
※写真はイメージです

このような農業イメージは農村や農家にも好意的に受け入れられました。農産物直売所が大流行し、あちこちで建設ラッシュが続いていたのがこの頃です。林立した農産物直売所にやってくる都市住民は、農村にとってまさしく救世主でした。新たな農村・農業イメージは確かに福音として機能しました。