着実にステップアップ、東京から三重県へ

尊敬する上司の言葉で初心を取り戻し、以降は営業部門のトップとして手腕を発揮。執行役員、取締役と着実にステップアップしていく。またこの間には、関東支店から三重県の本社へ、営業現場の意見や顧客から吸い上げた要望を届け続けた。

2012年、取締役マーケティング本部長の時の中島さん(写真=本人提供)

そうした姿勢と実績が評価され、2011年、中島さんは本社に呼び寄せられる。福井から単身赴任で東京に来て10年。2度目の転勤で単身赴任期間はさらに延びることになったが、井村屋グループの常務取締役および総務・人事グループ長という役割に、「現場の意見を経営に反映できる」と身が引き締まった。

社長に指名されたのはその8年後。予想外の指名に驚き数日間悩んだが、尊敬する浅田会長からの指名だったこともあり、「井村屋が好きだしご恩返しするべき」と覚悟を決めた。

起こったことは前向きに捉えるしかない

就任時、会長からは「女性活躍推進のために社長にするのではない」と言われたという。さらに、「今後は経営が厳しくなることもあるだろうが、社員を大切に全力で経営に打ち込んでほしい」「社長に一番大事なのは勉強を怠らないことだ」とも。それができる人間だと見込まれたということだろう。

まだ働く女性が少なかった時代から営業職や単身赴任に挑み、現在のキャリアを築いた中島さん。今の時代では考えられない、女性だからこその困難も多々あったが、列車事故で亡くなった人たちに思いを馳せて乗り越えてきた。

加えて、もともと人が好きなことから、新たな環境で出会う人々も仕事の原動力に。時に嫌味を言う人がいても、働く中で培った「開き直り精神」で対応し、くよくよした気持ちを引きずらないように心がけてきた。

「起こってしまったことは前向きに捉えるしかないですよね。自分の人生のハンドルを握れるのは自分だけ。だから、壁にぶつかったら引き返すのではなく『どうしたら切り開いていけるか』を考えるようにしています。これからも、そうしたプラス思考を大事にしていきたいですね」

写真=同社提供
2021年4月の入社式で。前列左から4人目が中島さん。右隣が浅田剛夫会長
(文=辻村洋子)
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