3時間のお説教にも「感謝」

「その晩は、私は何も悪いことしていないのに、一体どうすればいいんだろうと悩み抜きましたよ。でも、あの列車事故で亡くなった方々を思うと、生き残った私がこんなことでくじけていては申し訳ないと思い直したんです」

意を決した中島さんは、翌朝まだ暗いうちに家を出て再び同じ取引先へ。会社の前で2時間ほど待ち、出勤してきた社長に声をかけた。「当社に悪い点があるのなら直します。でも私が女性だからというだけでお叱りになるのは勘弁してほしい」と。

そこから、約3時間ものお説教が始まった。顧客に対する話し方から相手を見るときの目線まで、営業としてのあるべき姿を延々と指導されたのだ。心が折れてもおかしくない出来事だが、中島さんはこれを「いろいろと教えていただけて勉強になった」と前向きにとらえた。

社長とはこの事件をきっかけに会話が増え、最終的には何かあればすぐに声をかけてもらえる関係性ができた。多くのことを教わり、社長が故人となった今も、思い出し感謝しているという。

家族と離れ、東京へ単身赴任

その後、北陸支店長になった中島さんは、次のキャリアとして関東副支店長のポジションを打診される。このときは3人の子どものうち末っ子が大学受験を控えていることを理由に来年ならと伝えて断ったが、翌年に再び打診が。今度はノーとは言えなかった。

家族とは、以前から転勤の可能性についてよく話していたそう。夫は地元で会社を営んでいたため、転勤となれば中島さんが単身赴任するしかない。それでも夫は「もしそういう話があったら遠慮せず相談してくれ」と、常日頃から応援してくれていた。中島さん自身の中にも、東京へ行ってみたい、もっと広い市場を相手にしてみたいという思いがあった。

「北陸支店は、小さな支店でしたけど営業成績は良くて、人口1人あたり500円くらい売っていたんです。関東の市場はざっと3000万人ですから、『3000万人かける500円だと150億円だなあ』なんて考えて。単純な空想をしてしまったんですよね。チャレンジしてみたくなったんです」

2001年、中島さんは家族の後押しを得て東京へ単身赴任。新しい環境で新しい挑戦をと意気込んでいたが、それまでいた地方の支店とは勝手が違い、苦労も多かった。2003年には副支店長から支店長に昇進したが、やがて北陸支店との違いを痛烈に思い知らされる出来事が起きる。

上野動物園のパンダ人気に目をつけた中島さん、上野公園で自社の「パンダまん」を売ろうと提案した。営業担当者は「いいですね」と言ったものの、待てど暮らせど売り込みに行く気配がない。そこで若手社員に「商談に行ってほしい」と頼んだところ、予想もしない答えが返ってきた。