パンデミックにより、人びとは「公権力」を好きになった

人びとは不愉快な他人の姿やその営みをみたとき、それを「その人の自由だから」と寛容に考えるのではなく、すぐさま「お上」の審判を仰ぎ、その存在の理非を権力によって決定してもらうという導線を選ぶことをためらわなくなっていった。もちろん、これまでの時代には人びとに一切そういった認知的傾向がなかったとまでは言わないが、しかしこれまでとは比較にならないほど、現代社会の人びとは「公的権威」への信頼を寄せている。

平時においては「反権力」や「反政権」を標榜しているはずの先進的で進歩的な人びとでさえ、自分にとって気に入らない他人の自由を発見したときには、政治や行政の当局によって出された要請やガイドラインを持ち出してその権威的正当性を援用しながら、他者の「望ましくない」自由がいますぐ制限されるべき道理を激しく申し立てる。

「個人の幸福にとって大事なもの」が奪われていく

パンデミックによって、人びとは「他人の自由」に対する寛容性が急激に低くなり、それと対照的に「公権力」への信頼感を大幅に強めていった。もっと言えば、いつのまにか「公権力」によって「勧善懲悪」を期待するようにさえなっていった。

このような世界がやってくる前までは、市民社会を抑圧する国家権力の増大に対して明確に否定的・批判的な立場をとっていた人ですら、未曽有のパンデミックを経験して以降「社会のリソースの安定化、倫理的規範の向上には、人権制限もやむなし」と宗旨替えしていった事例も少なくない。

ましてや、コロナ前の時代から他者の自由に対して不寛容だった人びとは言わずもがなだった。ウィズ・コロナにおいてさらに勢いを増して「道徳警察」然となり、「さまざまな意味で社会的には望ましくないかもしれないが、しかし人びとの幸福にとって大事なもの」に対する糾弾の正当性を得て、大暴れしている。

たばこ、酒、萌え絵、ポルノ、肉食、糖質、カフェイン――いま社会から厳しい目を向けられつつあるこれらは、個人的なものが個人的なままではいられない時代の到来を告げる、最初の犠牲者として歴史にその名を刻まれることになるだろう。

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