水面下では11月の段階で兆候があったのではないか

武漢でのコロナ症例を扱う文献の中には、発症日がさかのぼったと断定的には扱わず、12月8日とするソースと、12月1日とするランセット論文を列挙する形で紹介しているものがかなりある。あくまで「デファクトスタンダード」的な意味でしかないが、新聞やテレビの各社は「中国当局が(略)最初の肺炎患者を確認したとされる日から、8日で1年を迎えた」(20年12月9日付読売新聞朝刊国際面)と翌年終盤の時点でも「8日説」の立場を取った。

患者に関する情報はランセットの論文のほうが詳しく、12月1日に発症したとされる患者は、流行初期に感染者が多発した武漢市の華南海鮮市場とは関係ないとも書いてある。速報としての不確定要素はあるが、事実であれば、武漢市当局が1月1日に市場を閉鎖した措置の効果や妥当性にも疑問が出る。

いずれにせよ、こうなってくると、水面下では11月の段階で、ごく初期の流行か、それにつながる何らかの兆候があったと見ることもできる。

また、2月に入ってから明らかにされた情報だが、中国メディアの報道やオープン・アクセスの論文に記された症例報告によると、12月下旬、クリスマス・イブの24日頃から、武漢の病院の医師が多発する肺炎の異常さに気づき、患者の肺からの検体を広東省の複数の遺伝子分析機関に送るなど病原体の解明に着手していた。

結果論であり、「たられば」の話ではあるが、年を越す前、それもかなり早い段階で、中国はIHR第6条に基づく通報をWHOに対して実施しておくべきだった。

SNSで感染状況を告発した武漢の眼科医

武漢衛健委が謎の肺炎に関する専門家チームを編成し、調査を開始したのは、年末も押し迫った12月29日のことである。

このことは、武漢中心医院の眼科医、李文亮(リーウェンリャン)氏に関する国家監察委員会の3月19日付報告書上で中国当局が公式に明らかにした。李氏は、新型コロナについて当局の公表前にSNS上で危機を訴え、中国では「疫病吹哨人」(疫病の警告者)と呼ばれた人物だ。2月7日に新型コロナによる肺炎で亡くなり、内部告発者として世界的に知られることになった。

写真=iStock.com/XH4D
※写真はイメージです

国営新華社通信を通じて公表されたこの報告書には、12月30日午後に医療従事者向けに二度発令された武漢市衛健委の「緊急通知」についても、午後3時10分と6時50分という発令時刻と、ネット上にそれぞれのスキャン画像が流出するまでの12分、10分という時間差が明らかにされている。