そんな矢先、2006年にトーメンと豊田通商が合併する。これは中川さんにとって渡りに船だった。すぐさま古巣に電撃復帰し、豊通ヨーロッパのパリ支店に勤めることとなった。
07年4月に東京本社に帰国してからも、引き続き医薬品関係の部署に籍を置いた。そして、18年からは自動車本部に異動。
子どもにも胸を張れるようなでかい仕事をしたい——。中川さんが思い描いた夢が、今回のプロジェクトによって結実する。
「誰かがリーダーシップを取らなければ」
ワクチン保冷輸送車は突如出てきたアイデアではない。ODAの世界では前々から課題として存在しており、ずっと中川さんは機会をうかがっていた。
「ワクチン保冷輸送というホワイトスペースの市場があることは分かっていました。ワクチン供給のODAは、車両、注射器、ワクチンが1つのパッケージになっていて、商社も入札していました。その過程で医療用冷蔵庫メーカーとも知り合ったんです。もちろん、メーカーもホワイトスペースがあることは認識していましたが、果たしてどういう市場なのか、規模はどのくらいなのかは未知数でした。また、WHOの医療機材品質認証(PQS:Performance、Quality、Safety)を取得するのがかなり大変だったため、気軽に手を出せなかった状況でした」
PQSとは、国連が扱う医療機材の品質水準を担保する認証制度で、これを取得すれば国連関係機関をはじめ、世界各国のNGOや慈善団体などが機材選定する際に大きなアドバンテージとなる。
認証取得のハードルが高いことは自明だったが、年間400億円ものワクチン廃棄という深刻な問題に目を背けることはできない。「誰かがリーダーシップを取らなければ」と、中川さんは手を挙げた。商社はメーカーではないため、自分たちで医療機材を作ることはできないが、企業同士をつなげることは可能だ。
そんなとき、メーカーの方から声がかかる。
「B Medical Systemsとやり取りしている中で、先方からワクチン保冷輸送車をやりたいと言ってきました。それで、手を組むならトヨタしかないと」
「それこそが商社だよ」
トヨタのランドクルーザー78は以前からアフリカの国連事務所で使われていた。現地で評価されていたし、シェアも大きかった。砂漠が広がるアフリカでは、文字通り、道なき道を走らなくてはならない。そうした中でも壊れないクルマが不可欠だった。
もし道中で故障して動かなくなってしまったら命に関わる。その点でランドクルーザーは「何事もなく安全に帰ってくることができる」と、アフリカでは信頼度が高かった。その状況をB Medical Systemsもよく知っていた。