女性への暴力や差別を「仕方ない」と考える風潮

——明治から昭和にかけて、女性運動や文学の世界で活躍した女性たち一人ひとりが生き生きと描かれているほか、彼女たちや道先生と関わりのあった男性の有名作家や偉人の描写も皮肉がきいていて面白かったです。

柚木麻子『らんたん』(小学館)

【柚木】学校関係者、OGやご親族、津田梅子さんの末裔の方にも取材はしました。

でも、有島武郎さんと道先生が原稿をめぐってやりあっていたのは、ほぼ小説のまま史実です。徳富蘆花さんと道先生は、実際には交流がなかったそうなのですが、大山捨松さん(津田梅子と共に渡米した日本初の女子留学生)のことを書いたので、彼女をモデルに『不如帰』を書き、誹謗中傷を引き起こして彼女を傷つけた蘆花も登場させました。蘆花と道先生のやり取りは創作なのですが、妻にDVをしていたのは史実です。

——史料にそう書かれていたのでしょうか?

【柚木】蘆花関連の本を読むと、妻に折檻を加えていたことが、特に悪いという感じでもなく書かれていることがあるんです。ちなみに、野口英世が結婚の結納金で留学し、妻がアメリカに着いたらすぐ離婚したとか、稼いだお金を一晩で遊郭で使ったとか、男の人たちは何も隠してないんですよね。いい作品を書いているのだから、すごい研究をしたのだから、女の人を傷つけても仕方がないというスタンスでいる。だから私は誹謗中傷でも何でもなく、そのまま小説に書いただけです。

——「芸術家なら、女性を傷つけても仕方ない」という免罪符的なものがあったように感じます。

【柚木】道先生は、明るいことが非常に好きでした。だけどなぜか「明るい」ということは一段低く見なされている。小説でも映画でも、日本では善でも悪でもないものが評価されがちです。人間というのは曖昧模糊として複雑で、光でも闇でもなく、正義でも悪でもない。だから正義で裁くことを疑問視する。

つらい目に遭っている人やマイノリティは救済されず、「仕方ない」で済まされる。トランスジェンダーの人が主役の作品は、主人公が死ぬパターンが多いですよね。「美しいからいいじゃない」と言う人もいるけれど、私は「美しければ、搾取してもいいのか? 美しいの、そんなにえらいのか?」と前から思っていました。

「闇は闇として、美しいから取っておけ」と、女性の人権の問題や、女性への暴力や差別を「仕方ない」と考える風潮が明治の頃から脈々と続いている。そんな灰色の人間の感情が、実は性暴力などを覆い隠していたのではないかなと、この小説を書きながら思いました。

そんな状況でも、少しずつ良くなってきているのは、明らかに先人たちのおかげだなと思います。