「の」は大人の配慮の結晶だった

神話の世界の話を「これぞ、日本の歴史」だと主張することは、さすがに近代国家では通用しません。そこで、苦肉の策として生まれたのが「建国記念の日」です。つまり、「建国記念日」とは言わず、「建国記念“の”日」とすることで、日本の建国をお祝いする日にしよう。それならみんなが納得できるのではないか。そんな事情で、「建国記念日」の間に、「の」という一文字が入ります。この「の」はいわば、大人の配慮の結晶だったと言えるでしょう。

本郷和人『空白の日本史』(扶桑社新書)

そして、こうした苦心の末、1966年、安倍晋三首相の祖父・岸信介の弟である佐藤栄作内閣の下で、「建国記念の日」が制定されました。

時に「日本は神の国だ」と言い出す政治家がいますが、日本の皇室が、神の子孫だというのはあくまで神話の中のお話で、科学的根拠はまったくありません。ただ、26代の継体天皇以降は、現代に至るまで血がつながっていることは、間違いない。紀元前660年ではないにせよ、それでも世界的に見たら群を抜いて古い王家であることは、きちんと僕たち日本人は踏まえておいたほうがよいのではないでしょうか。

もちろん「古いものが優れているわけではない」という議論も当然上がってきますが、長ければ長いほど伝統は育まれますし、時の積み重ねは重いものです。皇室に関する新たな議論が出るたびに、そこは冷静に話し合っていくべきではないかと僕は考えます。

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