中国人には、戦争で外国に侵略されたことを「国恥」とし、その屈辱を決して忘れないという「国恥意識」がある。作家の譚璐美さんは「政府が1930年代に始めた愛国教育で、多くの中国人に刷り込まれている。これが誤った歴史観や領土問題の根底にある」という――。

※本稿は、譚璐美『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

『中国「国恥地図」の謎を解く』より
小学校生用の地理教科書に収録されていた「国恥地図」。太い赤線が「かつての中国国境」と主張している。

「私たちの心に深く刻みこまれた九段線」というコラム

中国共産党は1949年、中華人民共和国を建国した。一度は忘れられたかに見えた国民政府の「国恥意識」は、そのまま共産党政権に引き継がれ、国恥地図(上画像)も地理や歴史の教科書に取り入れられて、学校教育や社会教育の場で教えられてきた。

建国当初、中国はまだ貧しく、食うや食わずの人民を団結させ、破綻した経済を復興させるために、「外部の敵」が必要だったからだ。

だが、中国は80年代の改革開放政策によって経済成長し、今では世界第二の経済大国になった。そうした中で、「国恥」教育は、いつ頃まで続けられてきたのだろうか。

アメリカの大学教授である中国人のワン・チョン氏は、サイト「The Diplomat(外交官)」に「私たちの心に深く刻みこまれた九段線」(2014年8月25日付)と題するコラムを掲載している。

「昨年(2013年)、私が訪問教授として中国のトップクラスの大学で教えた際、学生たちに『九段線は正しいと思うか』と質問したところ、ほとんどの学生が手を挙げた」

「九段線」とは、国民政府が1947年に『南海諸島位置略図』を刊行して、南シナ海の海上国境線を破線で描いたことに始まる。破線が十一本あったことから「十一段線」と呼ばれた。

1953年、建国から4年後の貧しい時代に、中国共産党の最高指導者の毛沢東が、当時まだ数少ない友好国だった北ベトナムに友好を示すために、ベトナム北部と海南島の間にあるトンキン湾に記されていた破線を二本消して、「九段線」に変更したとされる。

現在でも、中国の一流大学の学生たちが「九段線は正しい」と思うのは、学校教育でそう教えられてきたからであり、南シナ海の「南沙諸島は中国の領土」だと思っている点では、「国恥地図」が生み出された国民政府時代と変わりない。