仏画師に復帰し、人生が動き出す
職場の仲間と打ち解け、リーダーにも抜擢されて、日本の生活にもすっかり慣れた……と思っていた矢先の2009年、リーマンショックで会社が倒産。時を同じくして、友人が日本人の仏画師を紹介してくれた。その人から「一枚、描きませんか?」と声をかけられると、それまで眠っていた仏画師の魂に火が付いた。
ネパールから画材や絵の具を取り寄せて一気に描き上げたのは、一枚の曼陀羅。それを展示すると、ダルマさんの仏画が欲しいという人や「習いたい」という人が次々と現れた。それから、仏画師の仕事に復帰。仏画を描くだけじゃなく、仏画教室も開いた。
「最初に働いてた会社が倒産しなかったら、そのまま仕事をしていたかもしれない。一枚、曼陀羅を描いたらお客さんがどんどん増えて、これから私の好きなことできるぞ! と思いました」
ネパールのお寺出身の仏画師が描く本格的な仏画は評判になり、しばらくすると仏画の販売と教室の運営だけで食べていけるようになった。その活動が注目を集め、富山市から依頼を受けて、小中高校を巡って出張授業もした。
仏画師としての仕事も順調だったこともあり、2014年、ダルマは妻に「私は好きなことをやります」と宣言した。1階を飲食ができるイベントスペース、2階を仏画のアトリエと展示場にした場所を作ろうと考えたのだ。
「お客さんがいない時には2階で絵を描いて、お客さん来たら下で一緒に食べたり飲んだりできるところがあったらいいなと思って」
6年前に「一枚、描きませんか?」と声をかけてくれた日本人の仏画師と一緒に場所を探し始めた時、紹介されたのがこだわりの小松菜を生産する葉っぴーFarmを営む荒木龍憲さんだった。
小松菜の匠、荒木さんとの出会い
1952年、射水市生まれの荒木さんは当時、小松菜を作りながら自宅の隣りにある納屋をリノベーションして、妻の真理子さんと一緒に、1週間に2日だけカフェを開いていた。そのカフェの2階には広いスペースがあって、特に使われていなかった。
カフェで食事をしながら、「自分が想像していたことをぜんぶ実現している人がいるんだ!」と心を動かされたダルマは、カフェにいた真理子さんに、自分の計画を話した。
すると、初対面にもかかわらず、「ここ、カフェの日以外は使う人がいないから、なにかやりますか?」と言ってくれた。ダルマは即答した。
「やりたいです!」
実はこの時、ダルマは農業にも興味を持っていた。ネパールの農村には農薬を使うという文化がなく、無農薬栽培の作物が当たり前のように流通している。子どもにもなるべくナチュラルな食材を食べさせようと、家の庭で野菜の無農薬栽培を始めていた。
「農業についてもっと知りたい!」と、持ち前の好奇心に火が付いていたタイミングで、荒木さんのところを訪ねていたのだ。
真理子さんの申し出に興奮したダルマは、カフェでネパールに関するイベントを開き、2階に絵を飾り、空いている時間帯に荒木さんのお手伝いをさせてもらえたらいいなと考えた。家族が食べるおいしい野菜を作るために、農業のことを教えてもらえたら嬉しいという「軽い気持ち」だった。農業を体験したいと話すダルマに、荒木さんは「いいよ」と二つ返事で応えた。