人気シリーズとなった「忍びの者」に出演
1963年12月28日、雷蔵の「忍びの者」シリーズ第3作『新・忍びの者』が封切られた。
このシリーズは、大泥棒で知られる石川五右衛門が実は伊賀の忍者だったという設定だ。もちろん、雷蔵が五右衛門である。
第1作『忍びの者』では、信長によって伊賀の忍者の里が壊滅する。
第2作『続・忍びの者』では、五右衛門は信長に復讐し、本能寺で殺す。だが秀吉が五右衛門の妻を含めた仲間を壊滅させたので、次は秀吉を暗殺しようとするが、失敗して捕らえられ、釜茹での刑になるところで終わる。
村山知義による原作の小説も、そこで終わるのだが、第2作もヒットしたので、大映は、五右衛門は実は生きていたという設定で、第3作『新・忍びの者』を作った。
五右衛門は釜茹でになる前に替え玉と入れ替わっており、生きていた。
助けたのは徳川家康配下の服部半蔵で、五右衛門に「秀吉を殺さないか」と持ちかけ、さまざまな謀略を仕掛け、秀吉を精神的に追い詰めていく。
秀吉が死に、天下を獲った家康は、服部半蔵を通じて五右衛門に仕官をすすめたが、五右衛門は断った。
「家康は俺を使って天下を取ったが、俺は家康のおかげで妻子の仇をとった」と言い残して、関ケ原の朝霧の中に消えていく。
こういうストーリーで、さらに続編も可能なようになっている。
自分を封じて会社のために映画に出る
雷蔵はこの映画について後援会誌にこう書いている。
〈五右衛門は『続忍びの者』においてすべての努力を秀吉暗殺に傾けたものの、ついに成就することなく捕われました。しかし、彼の人生観は死によって最愛の妻や子にめぐり逢える喜びを抱いている。そんな悟りの心境に達していたのです。その同一人物が今さら再び秀吉を狙う復讐鬼になるのは演ずる側からいえば大変やりにくくなります。〉
〈会社は儲けるためには五右衛門個人の心理なんか構っていられないのでしょう。ですからこれは大きな力に押し流されてしまうという点でいかにも忍者の映画らしいし、私の境遇もまた忍者の運命に似ているような気がします〉
命じられた仕事を淡々とこなす――忍者の生き方と映画俳優の生き方が同じだと雷蔵は達観しているのだ。
そう思わせるほど、この年の雷蔵は自分のしたいことを封じて、ひたすら会社の命じるままに映画に出ていた。
〈私はこの一年間少し大袈裟にいえば俳優としての自分を犠牲にしても会社再建のために馬車馬のように、ひたすら突っ走ってきたつもりです。俳優としての私だったら、やりたくない作品も少なくありませんでした。しかし、会社を健全な姿に戻すために会社の企画するもの、私の出演を依頼されたものには、一応建設的な意見交換はしても結局すべてに出演してきて、決して破壊的な行動には出ませんでした。〉
それは全て会社のためだったが、その純粋で一途な気持ちが会社には分かってもらえていないとの不満も抱いていた。
そこで来年度は自分にも会社にもきびしくなると宣言している。