「自分は脅威ではない」というシグナルを送ることで攻撃をかわす

プライスは次に、サバンナ・モンキーを対象に同様の観察を行った(*17)。サバンナ・モンキーは、オスとメスがそれぞれ二〜三頭ずつの小さな群れを作って暮らす。ボスであるアルファオスは、基本的に交尾を独り占めし、その睾丸は鮮やかな青色をしている。ただし、それが続くのはオス同士の喧嘩で負けるまでだ。負けたほうのオスはうずくまって体を揺らし、引きこもりがちになり、落ち込んだ様子を見せる。そしてその睾丸は、くすんだ灰色に変わる。

プライスはこの変化を、「不本意な降伏(involuntary yielding)」のシグナルであると考えた(*18,19)。自分はもはや脅威ではないというシグナルを送ることで、敗者は新たなボスからの攻撃をかわす。降伏し、シグナルを送るほうが、攻撃されるよりはましだからだ。

プライスは精神医学者のレオン・スローマンとラッセル・ガードナーとともに、これらの説を臨床の現場で適用してみた(*20)。その結果、地位を争う競争において負けを受け入れられなかった場合に、多くの抑うつエピソードが引き起こされることがわかった。彼らの考えでは、落ち込んだ気分は競争での敗北に対する正常な反応として発生する。

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「自分は価値が低い」と思い込むことで得られる効果

そして、彼らがいみじくも「降伏の失敗」と名付けた状況——つまり、地位の獲得に向けて無駄な努力を続けてしまう状況に陥った場合に、正常な反応として抑うつが引き起こされる。英国人心理学者のポール・ギルバートとその共同研究者をはじめとする研究者らが、この考えをさらに発展させた(*21)。彼らは、大きなストレスがかかるさまざまなタイプのライフイベントを「地位の喪失」として捉えて観察を行った。そして多くの患者が、勝ち目のない地位争奪戦を諦めると回復することを明らかにした。

人類学者のジョン・ハルトゥングは単独で、この説の応用編とも言える面白い研究を行い、「自分を低く見せる」という興味深い行動に着目した。本来、自分よりも能力が低い者に服従することは危険を意味する。だが一方で、自分の力を見せつけたいという自然な傾向のままに行動すると、脅威とみなされ攻撃を受けるか、悪くすればグループから追放されてしまう。

ではどうすればいいのか。自分を低く見せる、つまり、自分の能力をあえて隠せばいいのだ(*22)。その最良の方法は、自分は価値が低く、能力もないと自ら思い込むことだ。このパターンは、フロイトが去勢不安によるものと考えていた神経症的な抑圧や自己破壊にも似ている。