怒りや嫉妬などのネガティブな感情は何のためにあるのか。アリゾナ州立大学生命科学部のランドルフ・M・ネシー教授は「それらは人間の遺伝子に利益をもたらしている。いたずらに否定してはいけない」という——。

※本稿は、ランドルフ・M・ネシー『なぜ心はこんなに脆いのか』(草思社)の一部を再編集したものです。

膝をかかえて座っている人
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内科では原因究明が治療の鍵となる

人々が医学的な治療を求める理由は、自分が病気だと知っているからではなく、苦しみを感じるからだ。人が内科の病院に行くのは、痛みや咳、吐き気、嘔吐、倦怠感などの症状から解放されるため。そしてメンタルヘルスの専門家のところに行くのは、不安や抑うつ、怒り、嫉妬、罪悪感を軽減して楽になるためだ。だがこのような症状に対する内科と精神科の臨床的なアプローチは、大きく異なっている。

まずあなたが内科のクリニックで働く医師だったとする。若い女性患者が訪れて、腹部の痛みがここ数カ月間で徐々に悪化していると訴える。下腹部に痙攣するような痛みやズキズキする痛みを感じるという。夜間に酷くなることが多いが、食べた物や月経周期には関係がないようだ。

ほかに健康上の問題はなく、薬も飲んでいない。あなたは原因を探るために、問診をして、検査の予約をいくつか入れる。がんなのか、便秘なのか、過敏性腸症候群なのか、子宮外妊娠なのか。いずれにしても、あなたは痛みを症状として捉える。そして、その原因を見つけることが、治療の鍵となる。

次に、精神科のクリニックで働く精神科医の場合はこうだ。若い女性患者が、絶え間ない不安と不眠、活力の低下を訴える。ほとんどの活動に対して興味がもてなくなり、かつては美しく整えられていた庭の手入れすらやる気がしないという。症状は数カ月前に始まり、ここ二、三週間でさらに酷くなったため、病院に来る決心をした。

不安や落ち込んだ気分などは、それ自体が問題とされる

ほかに健康上の問題はなく、薬も飲んでいない。本人によれば、ドラッグやアルコールの摂取はなく、最近生活上の大きなストレスになるような出来事があったわけでもない。あなたは精神科の医師として、こうしたネガティブな情動そのものを問題として捉え、症状を和らげるための治療を施す。

いわゆる「医学的モデル」の使用を標榜する生物学的精神医学と呼ばれる分野において、実際には生物学的な考え方の半分の側面しか用いられないうえに、ほかの医学領域とはまったく異なるモデルが使われていることは、実に皮肉な事態だ。ほかの医学領域では、痛みや咳などの症状は問題の存在を示唆する有用な反応として捉えられ、その原因の解明が試みられる。

一方で精神医学においては、不安や落ち込んだ気分などは、それ自体が問題としてみられることが多い。そして、何が不安や落ち込んだ気分を引き起こしているのかを解明しようとする代わりに、多くの精神科医は、単にそのような症状を脳の異常や認知の歪みなどの病的産物だと決めつける。

人は問題を前にしたとき、状況による影響を無視して、各個人に原因を見いだそうとしがちだ。