※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
私たちは本質的に仏さまと同じ
私は東京の小岩で、「密蔵院」という真言宗のお寺の住職をしています。「もっとい不動」とも呼ばれる下町のお寺ですが、地元のみなさんだけでなく、インターネット時代の現在、全国の方々とも深く、あたたかい交流をさせていただいています。
私の属する真言宗の開祖は、日本史上最高の天才といわれる弘法大師空海ですが、お大師さまは私たちに「三密」が大切である、と教えてくださいました。
お大師さまがおっしゃる「三密」とは「身・口・意」。つまり、私たちが体と言葉と心の3つで行う行為は、本質的に仏さまのそれと同じだからとても大切ですよ、ということで、不肖私も、この教えに従って修行の道に励んでまいりました。
ところが昨今、未曾有のコロナ禍によって、「三密」を避けろ、というのが世の中でいちばん大切なテーマとなってしまったのは、ご存じの通り。
「三密を避けろ」で殺伐とした世の中に
もちろん、お大師さまの「三密」と、政府や各自治体が盛んに呼びかけている「三密」は内容がまるで違います。今、みんなで守ろうとしているのは「密閉」「密集」「密接」という三密を避けろ、です。
ただ、この「三密を避けろ」は、やさしく言えば、「人との親しい集まりやふれ合いや会話」を避けろ、ということ。現実的には、「人のぬくもり」などはまったく感じられない世の中にしなさい、と言っているようなものでもあるわけです。
これは、ちょっと辛いなあ、と思います。こうなると、これまで以上に人の世の生きづらさを感じざるを得なくなります。
人に不寛容で、妙に怒りやすくなる。人のやっていることが気になってしようがない。人との接触が避けられる中でますます孤独を深めていく。あるいは、一時減っていた自殺が「コロナ禍自殺」という名前でまた増えているという話も聞きます。