「怒りのツボ」を知る
私自身、40代まではよく怒っていました。何に怒っていたのか。
ひとつ目。公の場所にゴミを捨てる人たちに対して怒っていました。たとえば車からポイとゴミを捨てる人。あるいは、歩きながら道路にゴミを捨ててそのままスタスタと行ってしまう人たち。
「こら、拾って持って帰れ。誰が掃除すると思ってるんだ!」もう、私の心の中はぐつぐつと煮えたぎって、爆発寸前。
今では、前を歩いている人がゴミを捨てたならば、それを拾って自分のポケットに入れるようにしています。
「誰が掃除すると思ってるんだ!」というかつての疑問が、私の中で「誰が掃除をするかなんて考えていないから、平気で捨てられるんだ。ならば、仕方ない」というふうに解決したからです。
ふたつ目。いまだに目撃するとすぐに心のお湯が沸騰するのですが、「食事の仕方」の問題です。
足を組んで食事をする人。肘をついて食事をする人。くちゃくちゃ音をたてて食べる人。中には3パターンをすべて持っている人もいるんですね。そういう人が隣の席にいたりすると、私はさっさとその場から離れるようにしています。これがいちばんの解決策です。
それ以外、日常生活の中では「怒りのツボ」にハマることはあまりありません。だいたいが、「おいおい、あなた、大丈夫?」くらいでにっこり笑って、相手の心配をしてあげておしまい。「怒りの沸点」の手前あたりで、心のお湯を冷ますようにしています。
このように、自分の「怒りのツボ」を知っておくことは、とても大切です。それを知っていれば、ツボにハマる前に何らかの解決策を講じることができて、心が穏やかでいられます。
人間だもの、摩擦はあっていい
生活全般の中で、人にはそれぞれに自分のやり方、つまり、ルールや方法のようなものがあります。そして、自分がたどり着いたそのルールや方法は、とりあえず現在はうまくいっているルールや方法なのです。
人は、その自分のルールや方法に自信を持っています。今までそれでやってきて問題はないし、それでいいと思っています。中には、そのルールや方法が「ベスト」だと過信している人もいます。
しかし、自分のルールや方法が誰にでも通用するわけではありません。あくまで、「マイルール」。違った生活をし、異なった経験をすれば、たどり着くルールや方法に違いが出るのは当然のことです。
「今日できることは明日に延ばすな」と言う人もいれば、私のように「明日やればいいことを今日するな」を信条とする人間もいます。
恋人同士の喧嘩も、嫁姑のいさかいも、多くはそれまでの互いの生活のルールが異なるために起きたもの。ルールの異なる相手に自分のルールを押しつけたら、摩擦が起きるのは当然です。