※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
イヤなことの大半は起こらない
2500年前、北インドの王国の王子であったお釈迦様がその地位を捨て、妻も子どもも捨てて出家した、その理由をご存じでしょうか。それは、人間にとっての「四苦八苦」をどうにかしたいと思ったからでした。
すべての人間が逃れることのできない「四苦」と「八苦」。まず「四苦」とは、「生・老・病・死」という基本的な4つの苦のこと。この4つの苦に、愛する者と別れ離れなければならない「愛別離苦」、嫌な人間と会わなければならない「怨憎会苦」、求めても得られない「求不得苦」、心身を構成する5つの要素に執着してしまう「五蘊盛苦」という4つの苦を加えて、合計で八苦。
これで「四苦八苦」です。
では「苦」とは何か。仏教における「苦」の定義は実にシンプルです。「自分の都合通りにならない」ということです。
たとえば、「老」。たとえば「死」。「自分の都合通りにならない」ことは言うまでもありません。私たちが、辛い、苦しい、嫌だ、めんどうだといった「ネガティブな感情」を抱くのは、すべて「都合通りにならない」ことに対してです。
「自分の都合通りにしたいから」苦しむ
「生」についても同じことで、いつ、どの親から生まれるのかは、私たちの「都合通り」ではありません。このように「都合通り」にいかないことは、すべて「苦」であるということになります。
さらに考えを進めれば、「都合通り」にならないことが私たちにとってなぜ「苦」なのか、という疑問の答えが分かってきます。それは、私たちが「都合通り」にしたいから、なのです。
私は、この「苦」を解消する方法はふたつあると考えています。ひとつは、AIなどの活用です。歴史的に見ても、人間は機械化というかたちで、洗濯機とか冷蔵庫、飛行機などによってある種の「都合」をかなえてきました。
もうひとつは、「考え方」の変換です。たとえば仏教的なアプローチでの逆転の発想で、自分の都合通りにしようと思わなければいい、それでノープロブレムだ、とすることです。
たとえば、コーヒーが飲みたいという「都合」があります。でも、コーヒーがない。どうするか。別の飲み物でいいか、ということにすれば、何も「苦」は発生しません。
「ずっと若くいたい。年を取りたくない」という人は、「年を取るのも悪くないかもしれない。けっこう面白いかもしれない」というふうに発想を変えれば、「老」は「苦」ではなくなるでしょう。
この世は思い通り、都合通りにいかないことばかり。でも、「ネガティブな感情」が発生したら、これは「自分の都合」のほうが都合悪いのではないか、と考えてみてください。驚くほど嫌なことが減って、心穏やかな時間を手に入れることができますよ。